作手の概要 (作手の名勝と史跡めぐり)
よい天候が続いていますが,部屋の中にいると“肌寒い”感じがして,上着を一枚多く着て過ごしました。
みなさんのところは,寒くなかったですか。
この後,第1回作手地区学校運営協議会がつくで交流館であり,今年度も委員として参加します。
新型コロナ禍が続く中,こども園,小学校,中学校の活動が,地域の方々との協働で充実したものとなるよう協議,意見交換ができればと思います。
みなさん,よろしくお願いします。
『作手の名勝と史跡めぐり』(発行1997年?)からです。
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作手の概要
作手村は愛知県の東部に位置し,東西約8km,南北に約16kmの台形をした村で,標高約530mの高原地である。村の中央には国道301号が通っており,豊田市・岡崎市・新城市・鳳来町と各地からのドライブには誠に快適な所である。
気候は高原地の特徴がでている。一口に言って『夏は涼しく,冬は北西の風が強く寒い』と言うことができる。七・八月の気温は新城市と比較しても,約三〜四℃は低い。特に朝夕の涼しさは格別である。このため,この頃では別荘地として開発されつつある。雨量は平地よりも多く,このため湿原の植物や山林には適地といえる。
降った雨は,豊川水系と矢作川水系とに分かれる。豊川水系は巴山を源として,清岳(キヨオカ)・白鳥(シラトリ)地内の小川と合流して豊田水系巴川となり保永(ヤスナガ)地区で本宮山より流れる水と合流して大和田地内を下り,鳳来町に至る。また,巴山を源にして東に流れる水は,草谷川を経て矢作川水系巴川となり田原・黒瀬を通り,善夫地内で菅沼川と合流して,東加茂郡の三河湖に入る。
この作手には旧石器時代より人が住んでいたことが,『作手村歴史民俗資料館』展示の尖頭器片から知ることができる。これらの土器片は作手の北部,菅沼地区にある「ヌメガイツ遺跡」「田ノ口遺跡」等から出土している。また,南部に弓木(ユンギ)という集落があり,ここの「大屋貝津遺跡」からも出土している。縄文時代・弥生時代の遺跡も発見されていて,古代より人が住んでいたと察することができる。
《写真》 川尻城址から高里中心部を望む
《図上》 作手村章
《図下》 作手村の花 サギソウ
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注)これまでの記事は〈タグ「史跡めぐり」〉で
【関連】
◇作手こども園
◇新城市立作手小学校
◇新城市立作手中学校
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◇新城市つくで交流館