集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

巴川の川小僧 (つくで百話 最終篇)

イチゴ0408。 天気のよい暖かい日になりました。  いつもより早く“桜の季節”が過ぎてゆきます。そして,野山が若葉で■■萌黄色■■に彩られています。  出かける途中,道路脇に“藤の花”が咲き出していました。まだ4月上旬なのに…。綺麗ですが,大丈夫でしょうか。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「昔話と伝説」の項からです。 ********     巴川の川小僧  作手村小林の鈴木仁さんと鈴木元一さんの家の中間の辺で,巴川の流れが大きく弯曲している。昔から洪水のある度毎に,巴川の水がここにぶつかって土手をけずるので,それを防ぐために大きな川石を,お椀を伏せたように,ここに積みあげてあった。人魚0408。それでも,はげしくぶつかる水のために,その辺の川底は土砂が押し流されて,深い渕になっていたので,小林の子供たちにとっては恰好の水泳場であった。たび重なる集中豪雨のためか,底ぎわの積石が一個流失して八〇センチくらいの穴がポカリとあいていた。  それは,明治の終りに近い夏休み中のことであった。その日,小林部落の子供たち五・六人が,この渕で水浴びをしていた。子供たちは,ここでは主に潜水の練習をしていた。最年長の私が,まず水底にもぐった。川底に達した私は,石垣の下底の方に近づいた。すると,その眼の前に,岩穴の大きいウツロが迫ってきた。穴の中をみると,人間の子供のようなものが,うずくまっていた。二つの眼が私の方をジッとみていた。その瞬間,私はドキッとして遮二無二水をかいて水面に浮かびあがり,石積みの上にとびあがった。 鵺0408。「ビックリした。穴の中に,どえらい魚のようなものがおるぞ」と,どなると 「どれ,おれもみてくるぞ」といって,肥男くんが水の中ヘどびこんだ。しばらくすると,肥男くんが青ざめた顔で,身慄いしながら川からあがってきた。 「通悛さは,いじが悪い。ウロの中に化けものがおるぞ。人間のようなおそがいもんだ」 「なんだらァ,川小憎じやないか」 「なんにしても変なもんだぞ。引っぱりこまれんでよかった」と,私も怪物のいたことを認めた。 「川小憎だったらシンノコ(肛門)を抜かれんでよかった。まァ帰らまいか」と,いうので,私たちは,着物や帽子をかかえて,草履をひっかけ,その場を逃げだしたのであった。 件0408。 私たちは,小林の人家のあるところまで走ってきて,漸く着物をきて落ちつきをとりもどした。そこに村の長老の米造じいさんがいた。 「今,広瀬の渕で化けものをみてきた。子供のようなもんだった。」 「そりやァ川小憎じゃねえか。昔から深い渕には,川小僧がおったぞ。ひっぱり込まれんでよかったなァ」と,落ちついた口調でいった。  この辺の川には川小憎がいると,昔からいわれていた。川小憎の頭のてっぺんは,一寸凹んでいて,そこに水がたまっていた。この水がこぼれて無くなると,川小憎は一辺に元気を失くしてしまうとか,祗園の日に川へ行くと川小憎に引きずりこまれる,といつて恐れられていたそうである。 《写真上》 人魚(別府名所鶴見地獄の怪物説明)  後深草天皇の宝治元年陸奥津軽に漂流したと伝へられています。胴から上が女の姿,腰から下が魚の形をしている。女の中で最も美化され母性のシンボルとして崇められています。それは凡そ生物の世界で多産の代表者が魚だと信じられていたからだと思われます。 《写真中》   此の怪物は夜に限って出てくるので夜と云う字に鳥を添えてぬえとも大空にのみすむという意昧から空という扁に鳥をつけて鶴とも読みます。近衛天皇の御代に京都の御所紫宸殿の上空に夜な夜な襲った怪物を弓の名人源三位頼政が射落したと云う物語りは余りにも有名であります。 《写真下》 (くだん)  牛から生れて2・3時間しか生きて居ないそうです。その間に「来るベき未来の予言」を云って死んで了う。この予言は千に一つの間違いもないところから証文の末尾に「仍而如件」と書かれます。 ******** 【「つくでの昔ばなし」掲載】   ◇巴川(ともえがわ)の川小僧  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で