集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

新型コロナ禍の一年。ポンスケ一家(2) (つくで百話 最終篇)

水芭蕉0325。 曇りで,小雨も降る肌寒い一日でした。  用事の途中で,先週に続いてミズバショウを見ていきました。美しく咲き,数が増えていました。とても綺麗でした。  先日,小学校から文集,委員会から教育史をいただきました。それらを読んで思うのは,新型コロナ禍の一年は「タイヘンなこと」が多かったでしょうが,それは"大人の都合”なのかもしれないということです。  文集の巻頭に
 しっかりと自分の思いを綴っています。コロナに対する不満を書いている子は一人もいません。(略) 確実にたくましく成長しています。
と子供達の"姿勢”が述べられていました。  子供達は,力強く"”を過ごし,着実に"未来(あす)”を創っています。それは新型コロナ禍であっても変わっていませんでした。  子供達は,以前のフツウよりも,"新しい生活”を強く求めているのだと思います。  一週間後に始まる2021年度は,子供達の創る"未来(あす)”に向かって,力強く進んでいける舞台と道具が用意できているでしょうか。  先生,よろしくお願いします。地域のみなさんは,新型コロナ禍での協働を惜しみません。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「昔話と伝説」の項からです。 ********     ポンスケ一家 (つづき)  夕飯は,まだ陽のある中に天幕の入口に菰をしいて,ご馳走を並べた。親父が釣りあげたあめのうおの塩焼が大皿に山盛りにされていた。  ポカポカと暖かい晴天が幾日も続いた。松造の箕作りは能率よく進んでいった。隣りの竹さや梅さの家でも,新しい箕がうず高く積まれていた。 「メメらァ塩瀬から布里の辺まで行って売ってこいよ」 「ウン,まあ米も味噌もへったでのん。ミチ(塩)もきれたで。」 「ついでに俺のきざみ(煙草)と,小僧の一里玉(黒砂糖でつくった菓子)も買ってこい。おっと忘れとったが,山でトゲをふんだで布里のムクライ(医者)ンとこで薬をもらってきてくれんか。」女房は,隣りの女房たちとつれだって商売に出て行った。  春もだんだん深まっていった。大和田の道端の柿の木は花盛りとなった。  柿の花が咲く頃になると鰻がつれると言われていた。松造は,竹さや梅さを誘って弓木の沼田へどじょうを捕りに行った。田の溝や沼田でどじょうをつかまえて帰ると鰻針に刺して,ふて針にでかけた。長い間の体験から,ポンは鰻の寝床をよく知っていた。鰻のいる石穴の辺に,どじょうをつけたふて針を仕掛けておいて,あくる朝,早くこれをあげに行くと百匁(約二五〇グラム)もある鰻がかかっていた。鰻釣りはポンの特技の一つであった。鰻のいる場所を見つけるのもうまかったが,見つけたら必ず釣りあげる技術も身につけていた。ポンが釣ったとこには,鰻が残っていないと言われていた。 「オイ,松サおるかい」と言って,腰に魚篭をつけ,釣竿をかついだ二人の男がポンの天幕にやってきた。この男達は,大和田の茂八サと塩瀬の一重サであった。二人とも釣の名人で,ポンという渾名があった。茂八サも一重サも,ポンの仲間とは特別親しく交際していた。  松サは二人を天幕の中へ招じ入れた。松サは,秘蔵の玉露の銘茶をふるまった。 「いつ来ても,ここのお茶はうまいなァ。うちの番茶とは桁違いだ。」と,茂八サが言った。 「そんなこともないずら。お前さんたち山茶をいぶして,その茶をのんでごらんじろ。とても良いぞい。」  茂八サは,松サに教えられたようにボタ茶を焚き火でいぶして,茶釜へほうり込んで飲んだら,とてもうまかったと言っていた。 「今日は久しぶりだで,鰻の蒲焼で一杯やるか。」と言って,松サは川端においてあった魚籠から五・六尾の鰻を持ってきて,手際よく蒲焼をつくった。一升徳利には,町の方で仕入れたらしい上等の銘酒もあった。上戸の客人は,酒と蒲焼を鱈腹ご馳走になって帰った。 「あの蒲焼のうまさったらどうだい。たれが良いんだな。ほんとに顎が落ちそうだった。」と,二人の男は述懐していた。  数日後,茂八サと一重サは,魚釣のついでに再び松サの天幕を訪れた。二人は背負袋に白米を一杯入れて持ってきた。 「こないだは,ご馳走さま,こりょうとっておいておくれや。」と言って帰っていった。  秋も終りに近づいたある日,ポンの松サは長保山の地主の源造サを訪ねた。 「やっと(長い間)お世話になったが,奥郡(渥美郡)の表浜へ行ってくるが来年はまた来るでおたのう申します。そんで,今日はお別れに一杯やって貰いたいで,おらんとこへきておくれんかい。」と言った。  源造サは酒好きだったから,一杯よんでくれるというので,いそいそと松造について出かけた。ポンはどんなくらしをしているか見たいという好奇心も手伝って,天幕の中へ入った源造サはびっくりした。黒塗のお膳の上には,いくつかのお椀が並んでいた。酒の銚子も置いてある。 「サアサア」と,勧められるままに,茶呑み茶碗につがれた酒を,たて続けに三・四杯飲んだ。  酒の肴を,と思って椀の蓋を取った源造サは再びびっくりした。椀の中には,五拾銭銀貨があった。他の皿にも五拾銭や拾銭の銀貨が入っていた。 「わしらの作った料理は喰ぺてもらえんだらァと思ったで,これで勘辨しておくれん。」と,松サが言って頭をさげた。  源造サは,いくつかの銀貨をもらって家に帰った。  そのあくる日,ポンの一家は半年あまり生活していた長保ヶ山の天幕をたたんで,次のキャンプ地,奥郡の太平洋岸へ移動して行った。    (峯田通悛) ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【おまけ】  中日新聞が,今年も「先生サーチ 教職員異動検索」を開設しました。  異動の発表された県・市について検索が可能です。
先生サーチ
 ここでは,「先生の氏名」で検索することができますし,「異動区分」「職名」「勤務先」でも調べられます。  勤務先は「新勤務先 (異動先)」と「旧勤務先(現勤務)」があり,新聞では分かりづらい「○○先生は,どこへ異動したの?」に応えてくれます。