集団「Emication」別館

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学校運営協議会。河童の火傷見舞 (つくで百話 最終篇)

桜0322。 昨日は"嵐の一日”でしたが,朝から天気の良い"春の日”になりました。  出かける途中,道路に水があふれているところが何か所かありました。昨日の雨が山から流れ出ているようで,帰りにも変わらず流れ出ていました。しばらく続くかな…。  夜,第4回作手地区学校運営協議会がありました。  今年度は,新型コロナウイルスの感染拡大の影響で,会議の延期や変更がされてきました。第4回も3月初めに予定されていましたが,今日になりました。
○会長あいさつ ○議題  ・作手小学校から報告  ・作手中学校から報告  ・作手こども園から報告  ・検討事項 ○意見交換 ○その他
 会長の挨拶で,最近開催された"学校跡地検討委員会”で話題となった「学校のある意味…」について話がありました。  その話は…。  納得です。そして,今日の会議の参加者も同じように"価値”を持って抱けていると思いました。  作手こども園,作手小学校,作手中学校から,新型コロナ禍の一年の"評価”と"課題”,そして"次年度の予定”の報告があり,次年度に向け,検討しました。  みなさん,これからもよろしくお願いします。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「昔話と伝説」の項からです。 ********     河童の火傷見舞  大和田村の稲吉庄右衛門応貞は,苗字帯刀御免の郷士で,文武の達人として近郷近在に聞えた名士でもあった。ある日,奥座敷の書斉で書見をしていると,遥か下手の往還を,こちらへ向って走ってくる馬の蹄の音が聞えてきた。きき耳をそばだてると,それは馬術の心得のあるものの乗馬であることがすぐわかった。近所の百姓ではない。何者だろうかと道路へ出てみると,逞ましい黒駒に乗っているのは裸の子供である。よく見ると,坊主頭には殆んど髪の毛らしいものもなく髯の毛がバラバラ生えているだけである。 「小憎,止まれ,どこへ行くか」と,大手を拡げて,道跡の真中へ立ちふさがった。 「わしは,今馬(大和田の下手の深い渕)じゃ。島川(大和田の上方二キロばかりの渕)さまが火傷さっしゃったと言うから,黒馬(大和田の下手の渕の主)さまと見舞に行くとこだ。急いでいるからどいてくれ」と,叫んだ。  子供と思ったのは,今馬渕にいるという河童に違いない。よく見ると頭のまん中に凹みがあって少々水がたまっている。  あとでわかったことであったが,島川渕から少し下手の弓木渕の川原でキャンプしていたポンの一団が,そこを引き払って矢作川の方へ移動することになったので,島川渕の河童が残飯あさりにでかけた。川原の炊事場跡へ来て窯跡の石へふれると,その石がまだカンカンに焼けていたので大火傷をした。島川の河童が火傷をしたことは,巴川の川魚から川魚へとリレー式に下流下流へと伝わっていった。  今馬の河童へも,またたく間に伝達された。今馬の河童は,隣りの黒馬渕の主にもすぐ伝達した。そこで二人は,打ち揃って島川さまの見舞に出かけたのであった。 「貴様ら,火傷見舞に行くといっても手ぶらで行ったって仕方がないだろう。俺んとこに火傷の薬があるから,それをもって行って手当をしてやれ。」  そう行った庄右衛門は家へ入って,徳利壺にいれてあった火傷薬──蟇の卵でつくった秘薬を,とり出して渡してやった。  庄右衛門の厚意に感謝した今馬と黒馬は,島川めざして一散に馳け去った。    (峯田通悛) ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【関連】   ◇作手こども園   ◇新城市立作手小学校   ◇新城市立作手中学校   ◇愛知県立新城東高等学校作手校舎   ◇新城市つくで交流館