作手の能筆家 (つくで百話 最終篇)
暖かい日なり,日中の気温は20度近くになりました。
出先に向かう途中,たんくさんのテントが張られ,多くの人が楽しんでいるイベントを,あちこちで見かけました。
緊急事態宣言が解除され,感染者も減ってきたことで,催しが再開される所が増えているようです。
ワクチン接種が始まったとはいえ,まだ有効な治療薬は明らかになっていません。感染予防は緩めることなく,「うつらない,うつさない」に留意して,新しい生活を過ごしましょう。
『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。
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作手の能筆家
昔から作手郷には能筆家が多かかった。今回「古文書について」を執筆された峰田好次は,現存する作手能筆者の一人であるが,当時の庄屋の筆蹟に感嘆している。
小林の庄屋,鈴木善右衛門は寺子屋を経営していた。その寺子であった杉浦鉄三郎は,その寺子中第一の能筆であったと言われていたが,長男重宏・甫・一禎と,杉浦家は代々能筆が続いている。甫の弟,澄夫は専門家の域に達している。書道も系譜があるのではあるまいか。
新城市の旗本設楽貞晋は,徳川幕府の開成学校の頭取という地位にあった学識すぐれた能筆家で,その子貞唆が校長をつとめた開成小学校の教え子の中から,阿部安孝・荻野三郎・加藤貞唆などの能書家が輩出した。
新城藩士山本鉄五郎も書をよくしたが,彼が校長をしていた旭小学校の佐宗武一・嶋田静は習字がすぐれていたので,明治末年頃,明治天皇が名古屋地方へ行幸の際に,その作品を乙夜の覧に供し,お褒美をいただいている。
田原の開成学校卒業生の森憲一・中川豊一は書道で一家を成しているが,豊一の長女れい子(麗香)は,父の血を継いで素晴らしい字を書いている。
鴨ヶ谷出身で名古屋在住の久島甫は,文検に合格して書道教師をしていたが,全国的な名声を博した書道家の列に入り,書道塾を経営している。
※以下に,久嶋甫,中川豊一・れい子,山田澄夫の住所が記されている。
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