「今,学校は…。」 百姓と猪のたたかい(2) (つくで百話 最終篇)
朝のうち曇り空でしたが,日中は晴れてよい天候になりました。
昨日,他地区で教育行政に携わっている方から電話がありました。
今週送った手紙(情報)に対してのお礼でした。新型コロナ禍への対応,最近の学校や教職員のようす,GIGAスクール構想や働き方改革の動向など,校長先生などから聞く話とは異なる“最前線の話”を,いろいろと聞かせていただきました。
マスコミ報道で知り「○○になって良かった」と思っていたことが,現場(学校)にとっては“困ったこと”になっていることを知りました。
マスコミが報道することは“一部”であり“フィルター”がかけられていることは分かっているつもりでしたが,楽観過ぎました。
また,小学校低学年で増えている“こと”の対応(?)を困ってみえました。原因が特定できるものではありませんが,“子供の幼児期の育ち”に起因するようです。
義務教育でできることは○○。就学前の幼稚園や保育園と連携するには…。その前は…。
教育行政や小学校として,行うこと…,無理なこと…。できること,できないこと…。
話を聞き終えて,一冊の絵本が思い出されました。
◇♪「ママのスマホになりたい 」の歌(2017/06/08 集団「Emication」)
◇絵本『ママのスマホになりたい』(2020/06/08 集団「Emication」)
ぼくの願いは,スマートフォンになることです。なぜなら,ぼくのパパとママはスマートフォンが大好きだから。 二人はスマートフォンばかりを気にして,ときどきぼくのことを忘れてしまいます。この子の“声”に気づいていない保護者の方が増えているのでしょう。 そのまま小学生になった“その子”が,教室の中で…。 新しく知ること,考えることの多い電話でした。 そして,今日の電話に「流石,○○さん」と感じ,教職員の皆さんが“安心”して教育にあたっているだろうと確信しました。 貴重な話,時間をありがとうございました。 『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ******** 百姓と猪のたたかい (つづき) オトシ穴 猪のウツに直径二メートル,深さ三メートルくらいの穴を掘り,表面に細竹を渡してその上に落葉や枯草などをバラまいておく。この上を猪が通るとき落ちこむ仕掛けであった。穴底にヤトウを立てておくこともあった。 柵 柵と呼んでいた。長さ四メートルくらいの細丸太で,六メートル四方の柵を作る。人口に落し蓋をつけ,柵の中に甘藷などを栽培しておく。柵の中へ入った猪が綱にふれると入口の落しぶたがおちて入口をふさぐ。一度に三頭の猪を捕えた事もあった。 鉄條網 近頃は鉄條網を張って猪の侵入を防いだり,ビニールテープを張ったりする。 百姓たちは,二百十日の厄日がすんだ頃から,猪との長期戦に入らなければならなかった。百姓が知恵をしぼってねりあげた作戦計画のうらをくぐって襲来する猪群のために,壊滅的打撃をくうことも間々あった。 毎晩かかさず猪番に行っていた男が,一晩サボったばかりで,五アールの稲田を目茶苦茶にされたこともあった。また,ある百姓は,鉄砲をかついで猪小屋へ行って見張りをしていると,夜半ごろ大猪が出てきた。折から雲間をでた仲秋の明月に照らされて,大猪二頭とウリンボウ三頭が田圃の中を馳けずり廻っているではないか。はやる心をおさえて,猪がたちどまって稲を喰い始める瞬間をねらってブッ放すことにして鉄砲を構えていたが,猪群は,いつまでも馳け続けているので,その機会がなかった。小一時間もたった時に猪の群は,山の方へ退散してしまった。田の畔へ行ってみた百姓はびっくりした。稲は全面的に喰い散らされたり,踏みつけられていた。猪は,走りながら稲を喰う習性であることを知らなかった失敗であった。 山田を持っている百姓たちは,九月・十月は毎晩,猪との対戦に骨身をけずられるような苦闘を続けるのであった。 (峯田通悛) ******** 珍しい木 明治の終り頃までは,上小林と弓木に,テンドウシという落葉潤葉樹があった。この木はテンジクドウシ・チヤンチンボク・サンケンなどとも呼ばれていた。直木で,枝は梢の方に少しあるばかりで「はざなる」のように長く伸びていた。真直ぐに天を指していたところから,名づけられたものと思われる。この木は,雷よけになるといわれていたが,お寺の木だといって,屋敷に植えるのをきらわれていた。 今でも,設楽町栗島の公会堂わきに,大きなチヤンチンボクがある。 ******** 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で 注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で