集団「Emication」別館

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大統領就任式。鳥居強右衛門餘話(1) (つくで百話 最終篇)

花0121。 天気がよく厳しい寒さが緩んだ一日でした。空は,昨日に続いて雲のない綺麗な青空でした。  20日正午前(日本時間21日午前2時前),ジョー・バイデン氏が,第46代大統領に就任しました。  “混乱”と“分断”のアメリカが,新大統領のもとで,どのようにまとまっていくのか関心をもっていたいと思います。  就任式で,アマンダ・ゴーマン氏が,彼女の詩「The Hill We Climb(私たちが登る丘)」を朗読しました。
 日が登ると,我々は自問する,この終わりのない陰のどこに光を見つけることができるのだろうかと。……  そして,夜明けは我々のものになっていた。我々は,国が壊れているのではなく,単に未完成であるのを知り,乗り越えてきた。……  日が登れば,我々は恐れることなく,炎の陰から出ていく。恐れを解き放てば,新しい夜明けが来る。我々がそれを見る勇気があれば,我々がそれをする勇気があれば,そこにはいつも光があるのだ。
 日本の○○でも,こうした演出(主張)があったらいいな。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     鳥居強右衛門餘話    生いたち  甘泉寺の高野槙と開山堂の間に,鳥居強右衛門の墓があります。もっとも鳥居強右衛門の墓はここばかりでなく,新城市有海の新昌寺にも,豊川市市田の松栄寺にもありますが,長篠城外で磔になった強右衛門の墓が,なぜ甘泉寺にあるのかという疑問は誰でももたれることと思います。この点について,私の見聞をとりまとめてみたいと思います。  強右衛門は,豊川市市田で生れました。市田は,昔の姫街道を二キロメートルばかり北に入った山つきの村でした。ここに松栄寺と云う旧いお寺があります。この寺の北隣りが,強右衛門の生家のあったところで,愛知県の名所古蹟に指定せられ「烈士鳥居勝商生誕地 愛知県」と云う標識が,大正六年一月十七日に建てられています。 碑0121。 勝商は幼名を兵蔵と言いました。体格が良く,腕力も強かったので武士になりたいと言って,いくさごっこや読書にふけることが多かったそうです。やや長じては,八幡村の神官大伴安房守に師事して剣術を学びました。兵蔵は水練にも関心を持っていたので,付近の豊川で水泳の練習をしたと言われております。後年,奥平貞昌の命を帯びて長篠城を脱出,折柄,増水中の豊川に飛び込んで,武田方が水中に張りめぐらしていた鳴子網を切断して難関を突破した非凡の水練も,この間に身につけたものと思われます。  武士を志した兵蔵は,当時作手郷の亀山城主であった奥平貞能に仕官して,強右衛門勝商と名乗ることになりました。ここで強右衛門と作手の縁が結ばれました。奥平家に仕えた勝商は,貞昌が長篠城に移るまで十七・八年間作手の亀山城下で過しました。    長篠城脱出の苦心  長篠城脱出に先立ち,主君貞昌から「其方妻子ありや」と,問われたのに対して「女房と伜が二人あります」と,答えました。  「若し其の方,敵のために討たれるとも,後は決して心配するな。妻子は厚く扶肋すべし。安心して参るべし」との,貞昌の言葉に感激して出発したのでありました。   わが君の命に替る玉の緒の     などいとひけん武士(もののふ)の道 は,勝商が出発にあたっての遺詠であると言われております。  木村永八郎氏は,勝商を次のように敍しておられます。 「勝商この時,年三十六,軀幹偉大,膂力衆に超え,水練武術亦裕に一頭地を抜く。満身の忠肝義胆,凝って百練の鉄となり,万丈の意気と為り,雲には飛龍をへいげいし,水はもうりょうを斬るの概あり,貞昌大いに恃む所ありしも偶然にあらざるなり」と。  勝商が長篠城の野牛廓から脱出して,寒狭川と三輪川の合流点である渡合におりてみると,前日来の降雨で増水した濁流が渦を巻いて流れていました。両岸の川縁には篝火がたかれ,武田方の智将馬場美濃守信房が配下の将兵を指揮して,大川に張られた鳴子網の警備に当っておりました。  勝商が,ひそかに材木を流すと,鳴子網を引きあげて仔細に点検しておりました。続いて,草の根株を流して試みると,根についている土の具合などまで調べていました。勝商は,次々に流木や木の根株などを流して,哨兵が点検に疲れきった頃,哨兵交代で跡部大炊介が指揮をとることになりました。  折しも黒雲が月光を被い,大雨将に到らんとする情況になりました。勝商は,この機会を逸せず奮然身を躍らせて激流に飛び込み,主君より賜わった正宗の短刀で鳴子網を切り開き,網をくぐり抜け,約四キロメートル下流の広瀬まで泳ぎ降り,豊川右岸の川路村に上陸した。と,木村永八郎氏は述べておられます。ここにも勝崩の沈着・機異に富んだ行動の一端がうかがわれると思います。 (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【関連】   ◇歴史的な5分間のスピーチ全文…アマンダ・ゴーマンは大統領就任式の主役になった(Business Insider Japan)   ◇【全文和訳】「分断を終わらせよう」全米に語りかけた女性詩人。就任式で未来への結束を呼びかけBuzzFeed)   ◇The Hill We Climb: the Amanda Gorman poem that stole the inauguration show | Biden inauguration(The Guardian)