集団「Emication」別館

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門松づくり。昔の炭焼(5) (つくで百話 最終篇)

門松1227。 天気が良く,気温が上がって,この時期にしては暖かい日でした。  午前中,地区の白鳥神社の掃除と門松づくりでした。  門松づくりでは,きちんと材料が用意され手際よく進みます。途中,一年ぶりで「縄はどう縛るんだった…。」と皆で頭をひねりながらも,正月を迎える門松が立ちました。  ありがとうございました。  今年も,一年を振り返り,新しい年を迎える準備をしながら,いつもの詩を読み返しました。  ロバート・フロストの『The road not taken(歩む者のない道)』です。
 黄色い森の中で道が二つに分かれていた  残念だが両方の道を進むわけにはいかない  一人で旅する私は,長い間そこにたたずみ
と始まります。  新型コロナ禍のなか,いろいろな分かれ道に出会い“新しい選択”をしてきました。これからも分かれ道があり,初めての選択をすることが続くでしょう。  そこで,どのように選択をするのか。  新年を迎える前に,きちんと振り返り,次に向け考えます。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     昔の炭焼   遠山義一 (つづき)  木炭改良  木炭の改良については,明治二十四年頃杉平村で,木炭製造の全国的権威者 田中長嶺先生を招いて講習会を開き,田中式といわれた黒炭窯の指導を受けたのが,改良炭がつくられることになった端緒であると思われます。その後,八名郡山吉田村に移られた田中先生は,同地の織田源松氏とともに研究改善された八名窯を創設されて,これを全国的に普及せられました。  大正時代に入ると木炭組合が結成されて,品質改良・製品販売の合理化が企図せられ,自主的に検査をして,甲・乙・丙または一・二・三等級に格付されました。黒炭では,充分炭化していないために燻るものは不合格とされました。  昭和時代になりますと,各地で製炭講習会も開催されて技術の向上が図られ,県営の木炭検査も施行せられ,従来の木炭と較べると,格段の向上進歩が遂げられました。太平洋戦争に突入しますと,エネルギー源としての木炭の価値は一層強く認識せられ,国営検査も行われることになり,品質・撰別・規格・俵装なども全国的に統一せられました。その頃になりますと,木炭の自由販売は禁止せられ,国を挙げて木炭の増産に邁進することになりました。木炭が,このように重要視されることになったのは,前後未曽有のことでした。  昭和十三年から,木炭の燃焼によって発動機を動かすことが研究され,木炭瓦期発生機の発明から,これを装置した自勤車──新謂,木炭自勤車が走ることになり,木炭がガソリンの代用をしました。従って,これに適応した木炭の製法も研究され,焼き方も幾分変りました。これによってできた木炭を瓦期用木炭と称して別扱いされました。   戦後の木炭事情  終戦後も,木炭の需要は少しも衰えず,数年間木炭ブームが続きました。当時木炭検査員をしておられた荒井一氏の要請で,昭和二十三年十二月五日から翌年一月五日まで,新信濃窯製炭講習会が中河内で開催され,私が育成した大沢甲子郎氏(長野県長水地方事務所製炭指導員)を派遺しました。また翌年は,黒瀬で開催された木炭講習会に,長野県上水間木炭改良組合指導員 峯村吉次郎氏を講師として派遣しました。その後,守義・木和田・田原・大和田などの講習会には私も参りまして,皆さんとともに研究いたしました。  昭和三十年代になりますと,電力・石油事情の好転,プロパンガスの普及に伴って木炭は順次斜陽の一途を辿ることになりました。作手村でも昭和五十年の今日では,炭焼さんは十指に達しないのではあるまいかと思われます。  私事にわたって恐縮ですが,私は鳳来町只侍の生れで,若い頃は郷里で炭焼に精をだしました。作手村には親戚もありましたので度々まいりました。  郷里で炭焼をしている間に,遠山式製炭法を考案して,東三河の木炭技術の向上に微力をつくしました。大正十三年長野県林業技手として長野県庁に奉職,自来製炭の改良向上に専念しました。昭和二十六年六月,林業専門技術普及員国家試験(前高等官待遇)に合格し,引続き木炭改良につとめましたが,同二十九年六月希望退職しました。思えば木炭とともに生きてきた五十年の生涯でした。 ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【関連】   ◇『The road not taken(歩む者のない道)』(ロバートフロスト)(Ronshi) 【備忘録;昨日のFacebookにメモした動画】  先日の『サントリー1万人の第九』(MBS)の放送の中で流れたCM。  日々のなかにある「希望」に目を向け,しっかり捉え,未来(あす)へ向かいたい。  「2021の希望」へ。
 BOSSで「ことし(365日)」を振り返る。  日々の歩みに目を向け,しっかり捉え,未来(あす)へ向かいたい。  「すべての1歩に,感謝を。