集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

D.LEAGUE。昔の炭焼(3) (つくで百話 最終篇)

温泉1223。 天気の良い日が続き,空気が乾燥しています。これまでなら「風邪に気を付けましょう」というところですが,今は,風邪はもちろん,新型コロナウィルスを家に持ち込まないように感染予防に努めるとともに,体力維持休養をしっかりと!  来月,D.LEAGUE(Dリーグ)開幕するのをご存じですか。  子供達にも人気のダンスのロダンスリーグが8月に発足し,その最初のレギュラーシーズンです。
 「D.LEAGUE」は、“世界中すべての人に、「ダンスがある人生」をもたらす”を Mission に、リーグの活動を通しダンスの裾野を広げ、ダンスが誰でも楽しめる、全ての人の「人生に欠かせないもの」になる 『NEW STANDARD』 の創造を目指します。
 子供達が目標とする新しい“舞台”ができました。  Dリーガーの熱い戦いが始まります。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     昔の炭焼   遠山義一 (つづき)  三河方面にも,美濃の国から炭焼族が大勢入り込んできました。美濃衆は,製炭技術が進んでいて,良質炭を沢山つくりましたので,その技術がだんだん取入れられました。所謂,美濃窯の普及によって,作手郷の炭焼も一段と向上しました。  つぎに,窯の天井つくりについてお話いたします。窯腰ができあがると,窯の中へ炭木を積込んで,その上に甲形盛といって,大・中・細材を長短各種に切り,窯の奥に向って縦に大材から並ぺ,だんだん中材,細材の短いものとならべ盛りあげて亀の甲形とします。高い所は窯幅の最も広いところで,高さは横幅の半径の三割〜四割高くこんもりと造る。その上に莚類を披ぶせて,その上に火に強い粘土を七・八寸厚みにのせて,槌で打ち固めて天井とします。この外に,白炭窯で天井を石でつくる場合は,土をのせる前に,火に強い長さ一尺二・三寸の細長い石を窯腰から甲形にそって一周り並べ,その上に粘土をよく練ったものを打ち込み,それが終るとまた並べ,また粘土を置く。こうして徐々に廻って行くと天井ができあがる。石と石の間に礫を打ち込み,更に石が見えないくらいの厚みに,五寸くらい粘土を被ぶせて槌で打ち固める。これを半石半土法といい,石天井の一種でありました。炭焼が始った当初の窯は、一俵か二俵だしの小さいもので,夕方原木の詰めこみをして口焚きをする。火がついてからも盛に空気を入れて,翌朝までに焼きあげるものでした。出来上ったものは量も少く,軟かで品質も劣っていましたので,原木に火が燃えつくと空気穴を小さくして燃焼に時間をかける,留窯という方法が採用されました。これは製炭技術の一大変革でありまして,これから後は,隔日または三日・四日おきに出炭することになり,収量も多く,一段と上質の炭ができるようになりました。 道具1223。 この頃の窯は,四俵から八俵(一俵は八貫)出しのものが多く,窯を築くのに石を使うことが多かったので石窯といって,できた炭を石窯炭といいました。  製炭の方法  原木の詰めこみが終ると,口焚きといって枯枝や枯木で火をつけました。始めはフド──煙道から水蒸気を主とした白い煙がでますが,原木に火が完全につくと,黄色味を帯んだ鼻をつくような煙に変ります。これを「キナになった」と言います。一日もたつと,だんだん青い煙がでるようになります。これを「青になった」と言いました。時間が経つと青も次第に少くなり,終いには全然煙がでなくなります。これで完全燃焼ができた証拠です。その時,窯口の部分に点々と空気穴をあけ空気を入れると,炭は真赤になり,黄金色となり,硬くなりま す。これを「ネラシ」(精煉)または「ネラシをかける」と言います。 (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【関連】   ◇D.LEAGUE(Dリーグ)   ◇D.LEAGUE (@dleague_jp)Twitter)   ◇D.LEAGUE (@dleague_jp)Instagram