集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

寺子屋のお手本(1) (つくで百話 最終篇)

落ち葉1110。 晴れた日が続き,そして空気の乾燥を強く感じるようになってきました。  「ちょっと喉が…。」と感じると,すぐに「最近,人ごみに出たのは…。室内に長くいたのは…。」など“3密”にいなかったか振り返ってしまいます。  注意するのは良いことでしょうが,「人を見たら泥棒と思え」のような感覚になっていることが気になります。  昨日,お手伝いしているところから,週明け月曜日の「感染症対策会議」の内容について連絡が入りました。
○ ご本人が陽性者・濃厚接触者となった場合の対応… ○ 当所にて陽性者が発生した場合の対応… ○ 感染症防止の方針は「感染者を出さない」から「濃厚接触者(クラスター)を出さない」ための対策を講ずることとし… ○ 感染症が出た場合のスムーズな対応ができることに焦点を当てて…
 地域の状況の変化に合わせて,迅速に具体的な対応が行えるよう修正が加わっていました。  先日の“これからの学校の対応"でも触れましたが,学校の“”は,春とは異なる状況と対応となります。  「濃厚接触者や陽性者(罹患者)となった」のが,子供の場合はもちろん,教職員の場合も含め,具体的に対応できるような準備・計画はできているでしょうか。    『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。  寺子屋を話題にしています。その寺子屋で使った“お手本”は,今の学校では扱わない(扱えない)ほどの難しいものです。  今日の原稿にあるように「これを読み書きするうちに,古人は処世の知識を得,人格を陶冶し得た」のです。  こうした古人の暮らしから学ぶことは,現代人に必要なことが多いように思います。 ********     寺子屋のお手本  寺子屋のお手本は「伊呂波歌」に始まって「村尽し」「名頭」「国尽し」「商売往来」「百姓往来」と進み,なお,学習書には「實語教」「童子教」「四書」「日本外史」「十八史略」などの高度に至る各種があげられているが,大部分の寺子は,初歩の「伊呂波歌」や「国尽し」寺子屋の師匠作の「村尽し」でやめてしまったようである。  私の手許には,祖父や父が使用した「商売往来」や「百姓往来」が数部残っている。少年時代に,父から商売往来や百姓往来の名はきいていたが,大した関心は持っていなかった。ということは,どうせ子供のお手本だから,初歩的な平易なものとたかをくくっていたからであった。しかし,今度寺子屋教育のことを調べるにあたって,手にとってみて驚いた。手本は行書と草書がいりまじっていて,難解の漢語でうずまっている。これまで聞いたことののない動植物・道具類・器物の名が,つぎつぎにでてくるので,全くお手上げとなった。幸い鈴木健一郎先生・山田慶先生・林正雄先生等に解読していただいて,漸くここに採録することができた次第であるが,寺子がこれを完全に理解し,身につけるということは至難のものであったろうと思う。  古人が「商売往来を一年であげた」などと,誇らしげに語ったことの意昧が始めて理解されたのである。  なお,本書にとりいれた設楽郡村号鄙歌は,設楽某村に居住したと思われる国学者の創作で,七・五調の長歌であったが,寺子屋の師匠から師匠へと,大勢の手を経る中に誤記された個所が沢山あったと思われたので,鈴木健一郎先生に修正していただいたものである。  とにかく寺子屋のお手本というものは,意想外にむつかしいものであり,これを読み書きするうちに,古人は処世の知識を得,人格を陶冶し得たのである。
手本1110-1。 手本1110-2。
********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で