寺子屋と明治初年の教育(8) (つくで百話 最終篇)
寒い一日でした。
冬型の気圧配置となり,今期一番の強い寒気が南下して,「初雪」「初冠雪」がニュースで伝えられました。
寒さとともに空気の乾燥が進んでいます。
寒さに凍えますが,まだ体がそれに慣れません。体調を整え寒さに合わせた生活をしていきます。
みなさん,お元気ですか。
『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。
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明治前期の学校教育
(6) 学童の服装と学用品
登校する学童は,着物に三尺帯をしめて草履ばき,学用品と弁当を包んだ風呂敷を背負っていた。雨降りの日に下駄を穿いて行くのは良家の子供で,裸足で登校するものが多かった。
弁当は麦飯に梅干・沢庵・漬菜であった。米飯の弁当を持って行くと,友だちから羨しがられ,魚や竹輪の煮付などをもって行くと,上級生の悪童にたかられることもあった。
筆記具には,石盤と石筆を使った。鉛筆やノートを使ったのは,上級生になってからであった。習字の時間に使う草紙・硯・毛筆などは,教室の机の抽き出しの中にしまっておいた。
学用品などは,必要最低限度のものに限られていた。参考書や雑誌などは,明治の末年になってからでも,一校で一・二名のものがもっているだけであった。明治三十年頃,愛知県で調査した学用品の標準は次のようなものであった。 ********
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