集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

大昔の人のくらし(5)-3 (つくで百話 最終篇)

栗1020。 朝,雲が目立ちましたが,日中は日差しがあり,暖かい日になりました。  午後,出先から帰るとき24度の気温でしたが,自宅の近くでは13度でした。  気温差の大きな時期,体調に気を付けましょう。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民俗と伝承」の項からです。 ********     大昔の人のくらし   沢田久夫   (5) 弥生文化のくらし (つづき)  弥生文化の遺跡は,設楽町に中期二・後期二・時期不詳一一・計一四,鳳未町に前期一・中期一・時期不詳六・計八,新城市に前期三・中期三・後期一五・時期不詳一二・計三三ヶ所が知られ,豊川の下流から上流に向って文化が侵透して行ったことがわかる。これに作手を加えると,数こそ五七ヶ所となるが,それらはいずれも小遺跡で,ムラを形成するには,あまりにも貧弱である。それなのにどうして弥生文化としても貴重な銅鐸が,奥三河の段戸山中に埋められたのであろうか。全く謎というほかない。  弥生式土器はロクロで形成され,還元焔で焼成された硬質の土器で,器形も文様も簡素である。  大むかしの話をするとき,いつでも問題となるのが塩である。塩がなくては,人も獣も生きてゆけない。山の人は,どうして塩を手に入れたであろうか。岩塩が出たり,塩分を含む泉があれば問題はないが,そんな所は滅多にない。山の人なら誰でも知っているヌルデという潅木がある。晩秋,ナナカマドなどと共に真紅に紅葉するが,このブドウ状の実は,熟すると真白に塩を吹く。昧覚は塩よりも爽やかで,むしろあくっぽくない。このヌルデや,その周囲にワンサと茂っているシオデを知っていれば,味覚的には塩は不要である。また獣肉を主食としていれば,その血液で塩分は十分間に合うはずであるが,植物性の食物が主となり,澱粉食が常となってくれば,むろんそれだけでは間に合わない。また何かの機会で塩の昧を知った人は,米を欲するように,塩も堪え難い魅力となるのも当然である。浜に近ければ海水を汲んでもよい。しかし,遠方ではどうしても海水を濃縮し,でき得れば固体としてもち帰りたいとの願望から,海藻に塩水をかけて乾し,それを繰返して濃縮し,はてはそれを焼いて灰と共に塩の結晶を得る。これが古歌に「藻塩焼く」と見える素朴な製塩法である。作手からなら,浜まで一日行程である。自身出かけて作ったかも知れない。  弥生文化は機織技術をもっており,もっぱら獣皮に頼っていた従来の服装に大変革をもたらした。後世「いざり機」という背の低い織機で,織手が座っていて前方の立木,又は柱に結んだ経を手許に張り,これを腰板で支える。そして,抒に巻かれた緯で経を一本置きにくぐらせ,筬で打ちこんで織る。そして,これに使う糸は石や焼物で作った紡錘車を用い,コウゾ・アサ・ヤマソ・クズ・フジなどの繊維を細くさいたのを撚って作られた。布を二つ折にした真中に穴をあけ,首に通して前後に垂れ,腰の辺でしばる貫頭衣が,爾後の日本服の原型となった。  なお書くことはいくらもあるが,一応「大むかしの人のくらし」はこの辺で終ることにする。 ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【今日の話題】   ◇学校が保護者等に求める押印の見直し及び学校・保護者等間における連絡手段のデジタル化の推進について(通知)(pdf 文部科学省