「入場お断り…」。長崎原爆の日
“暑い日”になりました。この暑さを,「期間限定」の愉しさで過ごしましたが…。
立ち寄った公共施設の入口で,検温をしていました。
久しぶりに寄ったので,いつから行われていたのか分かりませんが,愛知県に緊急事態宣言が発出されたことによる対応でしょう。
その場所(入口)で,「体温が高いので入場できません…。」と断わられて,帰っていきました。
「あれっ?」
この方は,大丈夫なの…。
公共施設で,入場を断るだけでよいの?
暑い日で体温が上昇しているのだと思いますが,もしも感染しての発熱だったら…。
公共施設で入場を断るだけでよいのか…。“次の案内(指示?)”をして,その方と市民を“守る対応”をしなくてよいのでしょうか。
公共が“排除の対応”ですから,いくら言葉を重ねても,巷の「コロナは誰が…」を止めることは難しいでしょう。
いろいろ考える場面でした。
75年前の8月9日11時2分,長崎に原爆が投下されました。今日は「長崎原爆の日」,長崎市で平和祈念式典が催されました。
でした。
長崎市の田上市長は,作曲家・木野普見雄氏の手記から語り始めました。
今年も,平和祈念式典で『千羽鶴』が披露されました。小学生,高校生の合唱を聴くことができ安心しました。
◇合唱千羽鶴(YouTube 長崎市公式チャンネル)
【おまけ】(2016年)
「長崎原爆の日」に合わせ渡辺千鶴子氏の『長崎を忘れない』を読みました。
被爆からの日々,思い,そして周囲の話が綴られています。
渡辺氏は,苦しい日でありながらも,母親と“生き抜いた”日々から,原爆原爆乙女の会としての行動を始め,被爆地長崎を代表する「語り部」として国内外で活躍されました。
16歳で被爆した渡辺氏の半生を歌と語りで表現している合唱組曲『平和の旅へ』(8曲の合唱と語りからなる約30分の構成組曲)があります。
◇「平和の旅へ」 Journey to Peace(YouTube)
私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女、そうした様々な幻影は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。被爆者の長年の悲願である“核兵器禁止条約の批准”を求めましたが,広島に続き長崎でも,安倍首相からは回答がありませんでした。 新型コロナ禍の今日,先のヒロシマ,今日のナガサキの平和宣言のから,「今」と「未来(あす)」を考える一日でした。 【関連】 ◇長崎平和宣言(長崎市) ◇長崎市 平和・原爆 ◇「平和への誓い」 深堀繁美氏(NHK 長崎県のニュース) ◇8月9日、長崎から奪われたもの。原爆投下後の街をカラー写真で振り返る(BUZZFeed 2018/08/09) ◇歌で巡るながさき【バックナンバー】(ナガジン! 長崎の魅力情報満載) 【関連】 長崎新聞が,新型コロナ禍の“平和式典のあり方”を提案し,発信を求めていました。 ◇平和ラッピング企画 今年の平和祈念式典は 家で行われます。(長崎新聞) ◇# 8月9日に想像したこと(Twitter) 【これまでの記事】 ◇長崎原爆の日。「幻の魚アマゴ」(つくで百話)(2019/08/09 集団「Emication」) ◇長崎原爆の日。(2018/08/09 集団「Emication」) ◇長崎原爆忌。古い「食」の話。(2017/08/09 集団「Emication」) ◇長崎原爆の日(2016/08/09 集団「Emication」) 今日の平和祈念式典で,長崎市立山里小学校の子供達が『あの子』を披露しました。
「あの子」 作詞・永井隆/作曲・木野普見雄 壁に残った 落書きの おさない文字のあの子の名 呼んでひそかに耳すます ああ あの子が生きていたならば 運動会のスピーカー 聞こえる部屋に出してみる テープ切ったるユニフォーム ああ あの子が生きていたならば ついに帰らぬおもかげと 知ってはいても 夕焼けの 門(かど)に出てみる葉鶏頭 ああ あの子が生きていたならばこの曲(歌)は,山里小学校の“第2校歌”だそうです。 ◇山里小学校<あの子>(長崎市立山里小学校)