第4回新城市平和祈念式典。
雨の朝でした。傘を持ち,ワイパーを動かして運転していきましたが,出先で傘をさすことはありませんでした。
午後,徐々に晴れてきて青空が見られました。セミの声が響き,夏を感じる陽気になってきました。このまま“梅雨明け”にならないかな…。
出先からの帰り,大型の観光バスが連なって坂道を下りてきました。
Go Toキャンペーンが迷走していますが,それに先駆けて「ツアーが戻ってきているのな…。」と思いました。フロントの案内を見ると「運転手練習中」とあり,運転席の横にバスガイドではない人がいました。
新人運転手が“いろは坂のような山道”や“切りかえしのいる狭い道”などを安全に運行させる練習だったようです。
練習の成果が活かせる日が,早く来ることを願いながら観光バスを見送りました。
午前中,第4回新城市平和祈念式典があり,参加しました。
新型コロナ禍により規模が縮小されての開催となりました。会場は,椅子の間隔が広くとられ,会議室いっぱいを使っての式典でした。
平和祈念式典は,
○開会のことば ○黙祷 ○市長式辞 ○献花 ○来賓あいさつ ○平和都市宣言唱和 ○閉会のことばの構成で,短時間で終了しました。 “世代をつなぐ”ことを意図し,戦没者追悼式から平和祈念式典へと変更されました。 しかし,昨年は台風6号により,一昨年は台風12号によって,開催が危ぶまれ,子供達の参加を見送りました。そして,今年の規模縮小で子供は参加していません。 そのため,中学生,小学生は“平和祈念式典のことを知らない”子供になってしまいました。 【参考】 ◇新城市平和祈念式典(2017/07/29)※第1回 ◇第2回新城市平和祈念式典。(2018/07/29) ◇新城市平和祈念式典。(2019/07/27)※第3回 今年は戦後75年です。 総務省の人口推計(2018年)によると戦後生まれは総人口の83%を超えており,日本で暮らすのは“戦争を知らない”人ばかりという状況です。 そのなかで,世代をつないで,戦争のこと,平和のことを語り,考えていくことが難しくなっています。 先月の沖縄全戦没者追悼式の際に,田上富久長崎市長がインタビューのなかで,
○ 私はよく長崎で,『被爆者がいる時代の終わり』と『被爆者がいない時代の始まり』が近づいていると話します。 ○ 戦後75年,被爆から75年たって,体験者がいなくなる時代が近づいているのをひしひしと感じるからです ○ 体験者が少なくなる中での今年の連携が,これからの伝え方を一緒に考え,新しい手法を開発していく契機になればと思います。 ○ 新型コロナウイルスと同じように,地球温暖化も,核兵器も,私たち一人一人が問題に直面する“当事者”という点は共通です。でも,なかなか当事者意識を持つことが難しい。 ○ そういう意味では,若い世代が新型コロナによって不便な暮らしを体験し,自らの行動が社会を良くすることにつながる体験をした今は,戦争や核兵器廃絶に向けても“当事者”として考え始めるチャンスだと捉えています。と話していました。 新型コロナ禍の今だから,今年だから「○○をする」ということが“できる”のだと思います。知恵と工夫でチャンスが活かされます。 今日も,その“チャンス”の一つだったと思いますが,子供達世代へ伝えることは行われていなかったようです。 子供達が“当事者”として考え行動を始める“チャンス”にしようと本市は考えなかったようです。残念 追悼と先人への感謝,今への感謝,そして未来(あす)を考えた一日でした。 ありがとうございました。 【関連】 ◇新城市平和都市宣言(新城市) ◇新城市平和祈念式典(新城・勝手に応援隊) ◇[戦後75年]戦争について考えてみよう(NHK for School)