集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「奥平関係の城 大和田城・牛小屋砦」(続 つくで百話)

融雪1226。 予報が「朝から雨,しっかり降り…。」と伝えていましたが,晴れ間も見られる曇りの日でした。  雨は降りませんでしたが,“部分日食”は雲に隠れて見ることはできませんでした。  今月上旬,あちこちの道路端に“白い袋”が置かれました。  冬季の路面凍結した道路の安全を確保する「融雪剤」(塩化カルシウム)です。毎年,凍結が続く場所には,短い間隔にありました。  今年は,まだ使用することなく過ぎていると思います。このまま,春まで過ぎればよいのですが…。  冬季の運転は気をつけましょう。  『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「作手のお城物語(その二)」からです。 ********     作手のお城物語(設楽町 沢田久夫)       奥平関係の城 大和田城  大和田の宇城山にある山城で,一名段戸城ともいったようです。城山は巴川に臨む嶮しい高山で,その西側中腹海抜四〇〇メートルのところに段地があり,そこに東西六〇メートル南北三六メートルの削平地があり,三段になっています。周囲に石垣がありますが,これが最初からのものか,それとも林地となる以前畑として耕作される際積まれたものか,定かでありません。背後に山を負うため東方の視野はありませんが,他の三方は展望が利き,巴川渓谷の彼方に八丈坊,見代城,獅子ヶ森など指呼の間にあります。  高処にありながら井戸のあるのはこの城の強味で,上方も下方も急坂であるのに,城址附近はゆったりしています。城主は初め菅沼源助でしたが,永禄五年から奥平六兵衛吉保に代りました。この人は貞久の三弟源之丞の孫市兵衛の二男です。天正元年八月の戦では見代宇津木の敗兵が殺倒し,当城に立龍った町を麓から火を放って焼立てたので,武田勢は堪らず四散したといい,全山紅蓮の炎と黒煙に包まれた凄絶の情景は,想像するだけで背筋が寒くなるのを覚えます。城はそれ以後廃城となりました。  * * *        奥平関係の城 牛小屋砦  田原と黒瀬の境を流れる中河内川の手前に,牛小屋という地があります。国道に沿うて西側に農家があり,その背後は低い丘になっていますがこれという遺跡は見えません。木和田山城鎧袖一触し,旗鼓堂々と南下してきた秋山勢を阻止せんと,堀を穿つ間もなく杭を打ち,鹿柴や柵を設けた臨時の砦なら,後に何も残らずとも不思議はありません。 ******** 注)これまでの記事は〈タグ「続つくで百話」〉で 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で