集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「まえがき」(続 つくで百話)

つくで百話1102。 天気のよい一日でした。朝夕の気温が低くなっていると思いますが,中高生の服装には,まだ夏服の姿も目立ちました。  この頃,道路工事が多いと感じませんか。数えたり調べたりしたのではありませんので,確かではありませんが,10月後半から気になっています。  当地や行動範囲のなかだけでしょうか。  かつて「年度末になると道路工事が増える」と言われていましたが,数年前に話題にしましたが,今は年度末ではないような気がしています。  みなさんのところでは,いかがですか。  紹介を終えた『つくで百話』(1972)に続いて,『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の紹介を始めます。  この「続」には,1979年に“新輯版”が発行されており,それも「続」に合わせて掲載します。  まず,「まえがき」です。 ********     まえがき  さきに「つくで百話」刊行にあたりましては,収集資料の整備も不足のまま,印刷に回しましたので,今となれば遺憾の点も多々ございます。ところが皆様方からは,予想外のご好評を頂きました。初版の全部がまたたく間に消化されてしまいました。同書の編集を終わって校正にあたっているとき,まだまだ書き加えなければならないものが数多く残されていたことに気がつきました。また,その後に,二,三の知人からも貴重な原稿が届きました。そこで,それらをもとりまとめて「続つくで百話」を刊行するはこびになりました。  北設楽郡設楽町郷土史家沢田久夫先生は,これまで四回にもわたり,作手村の古城址調査のため,村内を隈なく踏査して下さいました。沢田先生のお話によりますと,作手高原は,それによく似ている名倉高原の,およそ二倍の面積があるのだから,それだけ生産力も大きかったと思える。そのため,古くからの開発は進んでいたものと思われる。であるのに──名倉高原では,古墳が十六個も発見されているのに,作手高原の古墳は,その三分の一くらいしかみつかっていない。相互を思い合わせると,作手村は,まだまだ未発見のものが,かなり多く存在している民俗資科の未開発の宝庫ではあるまいか。」といわれています。  私どもは,さきの「つくで百話」と,こんどとりまとめた「続つくで百話」に,作手の民話,伝説などを,いろいろととりあげましたが,それは,作手の民俗資料の宝庫の扉のすき間から内部をちょっとのぞき見した程度のものでしかありません。いつの日にか,この宝庫の扉を完全に開放して,内側の資料を仔細に点検し,究明しなくてはならないと考えていますが,この大事業は,私たちのような素人の老骨が短日月に果しうる仕事ではありません。この貴重な事業は,新進気鋭の篤志者各位の,これからのご努力によって完成して頂きたいと願っております。  本書の刊行につきましては,沢田久夫先生からは,数々のご指導を賜わり,先生の多年にわたる貴重な研究資料を提供して頂きました。また,前作手南中学校教頭山田慶先生から,懇切な御校閲を賜わりましたことと,作手村有線放送部鈴木元課長が,終始献身的な協力を惜しまれなかったことを深く感謝しております。   昭和四十七年仲秋      作手高原文化協会会長  権田利一 ******** 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で