集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「御堂前の大ビンカ」(つくで百話)

花0917。 朝は曇っていた空も,次第に晴れてきて,午後は青空になりました。  朝から蒸し暑く,午後は夏の暑さを感じました。体の調子が調わない“秋の日”が続いています。  『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「山に因んだ話」から紹介です。 ********     御堂前の大ビンカ  日露戦役の頃までは川尻村の御堂前というととろに小さい丘陵がありました。高さ三メートルくらい,一辺が五メートルくらいの四角いもので頂上は平坦でした。この丘陵の北の端に南西の方角に向って五輪の塔と十数基の石碑が建っておりました。  この丘の一ばん右がわに,樹令数百年と思われるビンカの古木が茂っておりました。幹の太さ一,八〇メートル高さ二メートル近い大ピンカは,まるで雨傘を広げたように,三畳敷くらいの広さに枝を張っておりました。ギッシリ密生したビンカの枝の上に登ると,舟のように,ふわりふわりとゆれますので,部落の子供たちのよい遊び場でありました。  しかし,不思議なことに,このビンカに登るとツカモ(尋麻疹)ができて,だんだんふえるので困りました。そんな時には,親たちが注連縄をなって輪の形に作り,これをビンカの枝にかけて,木の根元にあった石塔にお洗米と塩を供えて「どうかツカモを治しておくれますようお願いします。」と御願いすると,あくる日には,すっかり赤いボツボツがきえて,かゆみもなくなりました。村の人たちはビンカの精のたたりだといっておりました。この丘陵の横がわにあった弘法堂を改造したのが磯丸様の住んでおられた磯丸庵でしたが,これも,明治三十七,八年頃,丘陵と共にとりこわ されて,昔なつかしい子供の遊び場も姿を消してしまいました。 (阿部安孝)   附記  毎年旧六月十六日の夕方,このビンカに繩を張って豆提灯を沢山つるして,てんのうさまのお祭りが行われ,子供たちは,これをもらってかえるのが楽しみでした。 ********  「ビンカ」が分からず調べてみると,日日草の別称のようですが,知っているものは“枝を張る”ような植物ではありません。  では,このビンカは…。 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉でおまけ;だいじょうぶ?】  小・中学校の秋は,運動会,体育大会,遠足,修学旅行,発表会,文化祭など,いろいろな行事が予定され,その準備や練習で,“いつもと違う時間”が流れます。  暑さ対策や行事の連続を避けるように見直しが進められていますが,「文化の秋」「スポーツの秋」「芸術の秋」という言葉があるように,社会に「○○の秋」があふれます。そのことに学校は無関係ではいられません。  こんなことも起こります。
 延々と30分,みっちりと怒られ続けた男の子。  先生の怒りが収まって解放されたので,すぐに別室へ連れ出しクールダウン。  落ち着いてから「どうして怒られてたの?」と聞くと,  「わからない‥」
 “いつもと違う時間”が慌ただしさを生み,先生方の落ち着きをなくします。また,期限までの結果(成果・発表)を求められ,それだけに集中してしまいます。  その結果(成果・発表)が出ていないことに,つい…。  延々と“指導された男の子”にとって,あの30分は,どんな意味をもった時間だったのか。  そして,何が指導できたのか。そもそも指導だったのか。  先生,落ち着いていますか。