集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「古戸崩」(つくで百話)。映画『ひろしま』。

川0814。 お盂蘭盆)になりました。  夜,区で初盆念仏です。合掌,そして感謝  『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「川に因んだ話」から紹介です。 ********     古戸崩  今からおよそ五百年くらい昔,大和田の慶雲寺は暫らく無住になって荒れ果てておりました。その頃のある日一人の六部(修験僧)がやってきました。この六部が 「立派なお寺がありながら無住では,御先祖様の霊をおまつりすることもできず,お気の毒だから自分を留守居僧にしてくれないか。」 と申しでました。村役人もなるほどと思い,村の衆とも相談して,この六部に留守番をして貰うことになりました。始めのうちは,なかなかこまめに,朝夕の勤行も致しますし,境内の掃除も,きちんとしますので,村人たちも喜んでおりましたが,そのうちに,だんだんずる賢こい本性をむき出してきまして,ちょいちょい寺の什宝にも手を出すような気配がみえてまいりましたので,六部に寺から出て行って貰うことになりました。そういう話が持ち出されると六部は激しく怒りましたが村の衆も強硬で,六部を追放することになりました。 「馬鹿もんの土百姓め,折角,俺が,みんなの御先祖まつりをやっているのに,追い出しにかかるとは,よくよくの恩知らずだ。俺の怨みで,この村を川原にして,ぶっつぶしてやるぞ。みていやあがれ。」 と捨てぜりふを残して六部は寺を出て行きました。寺をでた六部は,古戸の山の高い所に小屋掛けをして,ここに立こもり,三七,二一日間断食して,大和田村を呪咀する祈願を始めました。満願の日が近づくと連日大雨が降って,川の水かさが増してきましたが,二一日目は,激しい集中豪雨となりました。突然,今までごうごうと流れていた大川の水がなくなり,水のひいた川原に残された魚を手づかみで拾うものもでるという不思議な事態となりました。  村名主の稲吉庄兵衛は,「これは何がの異変が上流でおきたのに違いないからみてくる。」といって栗毛の馬に打ち乗って弓木の方へ向かって馳け出しました。半道(二キロ)ばかり上手の辺まで行きますと,柳沢の洞から大崩がでて,道路も川も,すっかりふさいでしまい,上方は大きなダムのようになっておりました。そしてこの急造ダムにたまった濁り水が,まさに溢れでようとしているところでした。  庄兵衛は,びっくり仰天,すぐ引き返してきました。クラダの峠までくると,大きな声でどなりました。  「大水がくるぞ。早く逃げろ」とありったけの声を出して叫びつづけてかえりました。村の衆は,着のみ着のままで家をとび出して裏山などへのがれました。間もなく,今までに見たことも聞いたこともなかった大きな鉄砲水が押し寄せて,田畑も家も押し流してしまいました。逃げおくれた人々や家畜はこの洪水にまき込まれて死んでしまいました。  洪水がひいた跡には,流れてきた大木や,岩石が累々と横たわり,村全体がみるも無残の荒地となりました。  これまでは川の流れは溝下から山側に沿って嶋功さんの向い側の下手で岩山にぶつかって曲り,現在の流域に流れていましたが,すっかり川敷が変わってしまいました。大和田郵便局のあるあたりを堂川原といっておりますが,それは,古戸崩で遭難した人たちの霊を弔うために小さなお堂を,この辺に建てて毎年盆の十七日に供養をしていたので,このように呼ばれることになったのであります。村の上宮橋から下手の辺を持籠といいますが川水を止めるために蛇カゴで堤防をつくって水田を作ったとこから名づけられたものだそうです。  とにかく,古戸崩は大和田部落に壊滅的の打撃をもたらしました。それが六部の呪咀のためか偶然の集中豪雨かは知るよしもありませんが現在の田畑も家屋もそれ以後に復旧されたものばかりです。 ******** 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【おまけ;映画『ひろしま』】  先日のNHKドキュメンタリーで取り上げられていた 映画『ひろしまが,NHK Eテレにて8月17日(土) 午前0時(8月16日深夜24時)から放送されます。  被爆者を含む88,000人が参加して撮影され,ベルリン映画祭で入賞し国際的な評価を受けた作品ですが,日本でほとんど知られていない“幻の映画”です。  原爆投下からわずか8年後に製作された作品です。
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台風0814。