面接指導。「字崗様」(つくで百話)
九州で記録的な大雨が降り,鹿児島県,宮崎県などで避難指示が発令され,100万人以上が対象となっているようです。
“命を守る”のが第一です。早めの避難を…。
とはいえ,“100万人の避難者”を収容できるのでしょうか…。
当地は,朝は日差しの感じられる空で,日中も曇り空でした。傘を持って出かけましたが,それを広げることはなく活動できました。
夕方になり雨が降り出しました。当地でも明日にかけ大雨になりそうです。
極端な降り方にならないことを願います。
今日,採用試験の面接練習を大学生と行いました。
「この仕事に就きたいと思ったのは…?」
「この仕事の魅力は…?」
「大学生活で熱中したことは…?」
「あなたの魅力は…?」
……
回答や応答は,とても上手です。
これまでの“練習”が,よくできています。
でも…。
質問を重ねると「あなたのこと」が見えてきます。
「だから…。」と,自分のことを振り返り,見直すことを伝えました。
ガンバレ!大学生(就活生)!
『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「文化財と信心」から紹介です。
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字崗様
田代の本郷から幸田へ行く道の中程から右側のせまい急な参道を三十メートル程登りつめた梅平地内に一基の石碑が建っています。石碑は直方体で,四角に積んだ台石を含めて地上からて五メートルくらいの高さです。土地の人々は,これを字崗様と呼んでいます。石碑には,正面に当寺開山字崗大和尚,右側面に示寂永正十癸酉冬十二月九日,左側面に宝暦十二壬午十二月奉再興,裏面に徳林寺現住達宗禅元拝立と刻んであります。
字崗禅師は大洞山泉竜院(新城市)の三世でありました。大洞山を退隠した字崗禅師は,第百四代後柏原天皇の永正八年六月一日田代の里に来られ,徳林庵という草庵を結んで,ここに閑居されましたが,閑居一年有半の後,田代梅平の山中で入定されました。入定のときは,墓穴の中へ生き埋めとされ,竹筒をさし入れて息抜きとしました。禅師の打つ鐘の音が七日七夜聞えましだが,その後は絶えてしまいました。萬治二年七月二十八日徳林庵は田代山徳林寺と改祢されました。
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