集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「大和田橋の昔と今」《生活の移り変わり 21》

霜柱0201。 昨日の雪・雨は,早い時間に止みました。積雪はなさそうですが,路面の凍結は各所でありそうです。  朝,窓の外を見ると,予想通り積雪はなく,空は晴れていました。  今季は,雪が降って白くなりましたが,「これまで“積雪”はない」と言える天候です。間もなく立春,季節は“春”に向かって暖かくなっていきます。  雪のない冬で過ぎていきそうです。  新聞に毎日載っている貯水量が,今日は53.0%でした。このままだと…。  文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「生活の移り変わり」の一話です。 ********    『大和田橋の昔と今』 (文・作手南中1年 女子)  わたしの家のたもとに,『大和田橋』があります。別の名を,「まとばの橋」とも今の古い人たちは言っています。「まとば」とは,一番大きく交通のにぎやかな橋で,部落の中央にあるので,そういうふうに,いわれています。  大正年間以前は,低い二本橋で,大水が出ると,すぐに流れ村人は困っていたそうです。大正の末期ごろ今の位置の五メートルぐらい下に,今の橋と似たような木の橋で,厚さ十センチぐらいの板で,らんかんも木で,土台は幅二メートル,長さ五メートルぐらいの木のわくの中へ橋げたを支えるくいを立て間へ石をつめて,くいのうわて二メートルぐらいの所へ太さ三十センチぐらいの木材を立て,大水で流れてくる流木が直接橋の抗へかからないようによく考えて,作ってあったそうです。  マッチのレッテルに東海道五十三次の絵があります。その絵の中に,橋の絵があります。あの橋とよく似ていると父が,言っていました。多分宇治川の橋だったといっています。で,その橋が出来るころから,材木を川へ流して,豊橋の方へ持っていき,たびたびの大水でこわれて,何回も作り直してやっと昭和三十三年に今のようなりっぱな橋になりました。  この間の七号台風で長い流木が何本もかかり,水が橋の上をこしていましたが,びくともしませんでした。橋の長さは,二十七メートル五十センチ。幅が五十メートルです。 ********  近所にある「通りやすい」ように整備された橋も,そこに“由来”があるだろうと思います。  それに気づくことも,話題にすることも,今では無くなっているかもしれません。  いろいろな“由来”を知ると,新しい発見がありそうです。