真っ暗ななかで。
台風24号で停電があり,それが続いていました。夜中に目を覚ますと,窓に街灯の光を感じました。
停電が解消し,電気が回復していました。
遅くまで作業を続けてみえた関係のみなさまに感謝です。
当地では,台風が去ってから“よい天気”でした。停電をしていますが,日中の活動や仕事はできました。
しかし,事務仕事はパソコンなどが使えず“開店休業”でした。さらに,食品を扱うところでは,冷蔵庫が稼働しないので,かなりの量を廃棄するしかなかったようです。
停電の原因にもなった倒木や崩土は,各所で起こっており“孤立した集落”もありました。崩土とともに大木が倒れて道路をふさいでおり,普通のチェーンソーでは切れず人数もいる大きさです。それも処理され,通行が確保(写真)されていました。
市役所,消防団,中電など関係の方々が,自分や自宅のことを後回しにして作業を進めていただけることで,復旧がなされていきます。
停電や通行止めは不便ですが,“工夫して”過ごし,待つしかないと思います。
停電の夜を2晩過ごしながら,いろいろ思いました。
外に光はなく,そこに広がるのは「闇」です。普段の生活では,家の電気を切っても,街灯や近所からの光があり“真っ暗”にはなりません。
昔は,この暗さが“あたり前”で,そのなかで行動していました。“危ないこと”しか思い浮かびませんが,ケガをしていたとは聞きません。
例えば,側溝に落ちたらケガをしますが,昔は足を取られるぐらいの溝です。そう考えると,現代は便利や安全な生活のために“危険”にしており,それを帳消しにするものを追加してバランスをとっているようです。
その一つが欠けてもバランスが崩れ,一気に“危険”が迫ってくるのかもしれません。
追加して安全・安心を得るのではなく,何かを外すことも必要かもしれません。
今の子供達が,枕元に懐中電灯を用意するのは“防災のため”で,普段は使わないと思います。
昔の日本家屋では,寝る時に懐中電灯を使った方が多かったと思います。
夜中に移動するには,親が寝ている近くを通ります。起こしたり迷惑にならないよう“懐中電灯で小さく照らして”歩きました。電灯を点けたら寝ている人が起きてしまいます。
“迷惑をかけないようにする”のは,大きな子はもちろん,小さい子も当然のことでした。
家庭で身につけたことが,社会での規範を作っていきました。誰かが決めたとか,ルールとかではなく,“あたり前”だったのです。
子供達の家では,想像できない話でしょう。“個別にする便利さ”で,何かを失ったのです。
真っ暗な夜を過ごしながら,いろいろ思いました。
【おまけ】
10月1日に話題にしたかったメモ。
(10月1日に) 校内を回っていくと,低学年の教室で,朝のあいさつをした後,「あれっ。いつもと違う。」の声がありました。 「一緒だよ」という子もいましたが,長袖とネクタイを指して「違う」というのです。 「C あの…,服を冬のとかに替えたから。」 「T 何と言う日か知ってる?」 「C えっと,“ころも”…何とか。」 「C えっ。天ぷらなの?」 「C 違う。その“ころも”じゃない。」 「衣替え」の言葉に辿り着きませんでしたが,笑いの出る会話になりました。「衣替え」は,もう死語かもしれません。 でも,“季節”と“節目”を大切にすることは重要だと思っています。 楽,便利よりも…。 1日はネクタイを締めませんでしたが,2日の用事にはネクタイをして出かけました。自分なりの拘りです。