集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

ヘンテコな天気。武満徹氏の「音楽」

総会0630。 雨,晴れ,曇りと,いろいろと変わっていく天候でした。しかも,突然に。  ヘンテコな天気でした。  午後には地震もりました。地鳴りの後,ぐらぐらと揺れ,「さらに揺れるのか」と身構えましたが,次はありませんでした。  明日は晴れるかな。  今日で6月が終わり,2018年の半年が終わります。  2018年の日々を思いながら,次への一手を考える一日でした。  6月は,株主総会が開かれる時期で,いろいろな企業の総会がニュースで取り上げられていました。  この時期,約3,000万通以上の議決権行使書が発送されているそうです。その“招待状”を持って株主総会や株主懇親会に出向くわけですが,それができずに郵送やインターネットで“投票”をします。  しかし,それが面倒で“そのまま”という方も少なくないようです。  今年は,「ぜひ投票を!」との案内はがきが追加で発送されたり,QRコードからパスワード等の入力が不要な投票ができるようになったりと,新しい動きがありました。  株主のみなさん,総会で投票をしましたか。  武満徹氏をご存知ですか。  武満徹氏の音楽をご存知ですか。  武満氏は,第二次世界大戦終結した後,1950年代に音楽に携わり始めました。
ぼくは、一九四八年のある日、混雑した地下鉄の狭い車内で、調律された楽音のなかに騒音をもちこむことを着想した。もう少し正確に書くと、作曲するということは、われわれをとりまく世界を貫いている《音の河》に、いかに意味づける(シニフィエ)か、ということだと気づいた。」(ぼくの方法)
 氏の音楽に,“思想”を感じるのは,この時代に影響があるのだと思います。  先日,1983年に制作された映画『東京裁判について述べた「時代の空気と匂いを伝える」と題した記事を読みました。
 1946年4月29日(昭和天皇の誕生日),極東国際軍事裁判で,東條英機元首相ら戦争指導者28人が起訴された。検察側は,米国人ジョセフ・キーナン首席検事を筆頭に各国の検事をメンバーとする執行委員会だ。裁判長は,オーストラリアのウィリアム・ウェップ卿。弁護団も形の上では,日本人弁護士のみならず米国人弁護士も参加して組織された。法廷は,市ヶ谷の旧陸軍省参謀本部に用意された。  この裁判は,ポツダム宣言に基づいて46年1月22日に発布された極東国際軍事裁判所条例による。いわゆる東京裁判だ。平和に対する罪,人道に対する罪,通常の戦争犯罪の容疑を裁くべく,46年5月3日から48年4月まで416回の公判が開かれた。判決は11月12日に言い渡された。処刑は12月23日,当時皇太子だった今の天皇の誕生日だった。東京裁判の判決については,1952年発効のサンフランシスコ講和条約の第11条により受諾。戦後の日本が始まった。  この東京裁判を後世に伝えるのが小林正樹監督「東京裁判」だ。米国防総省保有していた第二次世界大戦に関する膨大なフィルムの中には,東京裁判巣鴨プリズン,戦後の日本の社会の模様を収めた約50万フィートに及ぶフィルムがあった。5年の歳月と4億円の巨費を投人して83年6月に公開された。  この映画の音楽は武満徹が書き下ろしている。冒頭のタイトル・バックの管弦楽曲が印象的だ。ここにあるのは静謐な中に秘めた悲嘆,後悔,諦観。そして極微量の希望のニュアンスも嗅ぎ取れる。全編を通して重厚な音楽を提供している。30年10月生まれの武満は,終戦の時に14歳。多感な時期が戦中・戦後に当たっている。その時代を淡々とかつ生々しく描く「東京裁判」の音楽。出過ぎてはいけない。沈黙も音楽の一部だ。小林監督とは62年の映画「切腹」以来,何度も協働している間柄だ。映像と音楽が過不足無く融合する。終戦直後の時代の空気感,匂い,政治の現実を感じさせる。(音楽愛好家 小栗勘太郎
 7月,8月と「戦争」や「平和」の話題が多くなります。記録として綴られたものだけでなく,その映像や添えられた音楽にも,思いを馳せたいものだと思いました。  「平和」を,これからも。 【おまけ】  最新作「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」が公開されました。  Bottle Boysの演奏する Star Wars をどうぞ。