「盗まれた観音様」《作手村のむかし 7》
朝の空は雲に覆われていましたが,日中は薄日がさす晴れの日でした。
昨日からの“冷たい風”が続いており,気温も上がりませんでした。
肌寒く感じましたが,農作業など屋外の活動には,都合のよい天候だったかもしれません。
いかがでしたか。
文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「作手村のむかし」の一話です。
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『盗まれた観音様』 (文・作手南中3年 男子)
川手の橋の向こう側に,観音堂というお堂があります。これは,その中に祭られている観音様にまつわる民話です。
明治末期から大正の初期の頃の事といいますから,5,60年くらい前のことです。ある日のこと,どこからともなくひとりの乞食が,この川手にやって来ました。この乞食は,なんとかして金持ちになりたいと考えていましたが,観音堂の観音様のことを聞くと,ひとつ,これを盗んで売ってやろうと思いつきました。そこで,その夜,こっそり忍びこんで盗み出し,すたこら,すたこらと,豊橋のかわら町というところまで逃げて来ました。ここまで来ればもう大丈夫と,その乞食は思っていましたが,突然病気になってしまったのです。そして,毎夜のように彼の夢の中に観音様が現われては「私を故郷にかえしてくれたらお前の病気をなおしてやろう。」と言うのです。そこで,ある日彼はこの観音様を警察へ持って行って,事情を話し観音様を川手にかえすことにしました。
さて,こちらは川手ですが,観音様が盗まれたなどとだれひとり知っている人はいません。ある日,豊橋の警察署から「観音様が盗まれてこちらに来ているから,受け取りに来るように。」と言ってきました。けれども,その話を信じられない村人たちは,観音堂へ行って観音様を捜しましたが,どこにも見あたりませんので,菅沼源三郎という人ともうひとりの人が,代表で受け取りに行きました。そして,豊橋の警察署で話を聞いて驚き,さっそく,観音様を持ち帰り観音堂へ納めたわけです。村人たちもこの話を聞いて,観音様の偉さを,あらためて知ったということです。
現在,川手ではいろいろな昔からの行事,祭事といったものが,だんだん行なわれなくなってきましたが,この観音様を祭礼するおせがきだけは,毎年8月17日に必ず行なわれています。
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この観音様のように「盗まれた」「売られた」という仏像や石仏の話があります。骨董商のようなところに持ち込んで,お金にかえたのでしょう。
どの程度のお金になったのか分かりませんが,“神仏に手を出す”ほどの苦しさ故でしょう。現代の窃盗とは心持ちが違っていたと思います。
その“心”が神仏を招くこととなり,罪の重さに苦しむのだと思います。
今の世において,「道徳」は,この“苦しみ”を分かるでしょうか。
それより先に,「道徳」で,“手を出さない”ようにしているでしょうか。
正直,誠実,勇気,善悪の判断,自律,責任,公徳心,郷土愛,強い意志,真理愛,礼儀,親切,信頼,寛容,謙虚,尊敬,感謝,生命尊重,畏敬の念,勤勉,生きる喜び,人類愛…
「道徳」って…。