集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「はより神様」《作手村のむかし 4》

花0508。 少し前には“晴れ”の予報だったのですが,「下り坂」の天気でした。  朝,出かけるとき“濃い霧”が出ており,すぐに雨が降り出しそうな天候でしたが,昼過ぎに雨になりました。  明日も雨のようです。もう梅雨でしょうか。  今朝,先日と同じ道を通りましたが,混み方が違っていました。渋滞です。  やはり,出勤時間は避けて通った方がよさそうです。   文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「作手村のむかし」の一話です。 ********    『はより神様』 (文・作手中3 男子)  先生から,「昔の伝説を書いてこい。」といわれた。一時は,たいへん困った,ぼくが伝説を知っているはずがないからだ。だが,家には祖母かいるから祖母に聞けば何かわかるのではないかと思い「書いてくるぞ。」と思った。  祖母に何か伝説はないかと,話を持ちこんたところ,次のようなことについて話をしてくれた。それは「はより神様」というものだ。  これは,今から約60年ぐらい前のことだが,今の草谷から,中河内へ行く途中から,山の奥のほうへはいった所で,草谷からは,約4キロの距離の所だそうだ。その場所の名前は,たのき山のおふどう様だということで,このおふどう様が「はより神様」と呼ばれた。この神様は,突然ある人が夢で「この場所に神様がある。」ということを見て,そして来てみると本当に夢と同じ場所だった,ということから,この場所の水を痛むところにつければ,その痛みがとれるということが広まったらしい。そして,この神様のことが有名になった。ふしぎなことに,本当に治ったことで,お礼参りに来る人かいたから,ますます有名になったらしい。村内ばかりだけではなく,新城・豊橋から来る人も多勢あって,茶屋まで並ぶ有様でだいぶ繁盛したようだ。子ども,老人が特に多く,村内ではみんな平均3,4回いったそうで,毎日必ず10人以上は,お参りに行ったそうだ。これが2年間ぐらい続き,最後は,衛生上よくないことで,巡査によってやめさせられたということだ。  この話でまず,この神様が夢によって発見されたということが,ちょっと変だなと感じた。ひねくれた考え方かもしれないが,この時代は,みんながたいへん貧乏だった,だから夢を見た人が,賽銭をもうけるためにやったのではないかと思う。が,ともかくそれが,2年間も続いたということは真実だ。もっぱらその水が効かなかったのでもないそうだ。三つ目の理由は,この時代には医学が発達していなかった。そのために発見した人が「病気は,気の病」というから,この水をつければ治るということを,村内の人々に信じさせ,その気分が病気を治させたのかもしれない。いずれの理由かは,わかるはずもないが,今は「こんなことは,ぜったいに起らない。」と言いきってもいいだろう。だが,その時代にはこんなことがおき,みんながそれを信じた。そのへんに何か今とは違うものがあるような気がした。 ********  「はより神様」,今はどうなっているのでしょう。