集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

『老いては夫を従え』(柴門ふみ・著)

実1121。 今日は,青空の一日でした。空気が澄んでおり,景色が綺麗でした。  気温は上がりませんでしたが,車内や室内は“陽の力”で暖かくなりました。  出かけた先で,平日なので年齢の高い方が多くいました。男性は思ったような年齢層ですが,女性には若い方が目立ちました。  この違いを確かめたいと思いましたが,“セクハラ”の4文字が浮かんで声になりませんでした。  でも,思いがけず若い女性が多かったのはなぜ…。  青春は気持ち,活力ある日々,生涯現役… と思いながらも,最近,「老い」「年寄り」といった言葉を耳にすると,心がざわつくことがあります。  でも,“高齢者”を聞いても気になりません。「65歳からが高齢者」という知識(?)が戸をたてているのでしょうか。  そうした心のざわつきが『老いては夫を従え』(小学館・刊)を手に取らせたようです。  柴門ふみ氏は漫画家で,その夫といえば同じく漫画家の弘兼憲史氏です。  その二人の“老いゆく日々”を,柴門氏の目から描かれています。その“老い”に抗わず楽しみ,それが笑いとなっています。老いることで,元気になるような気がします。  「ああ,あるかも…。」と生活を振り返り共感したり,声を出して笑ってしまったり,時にはホロッと泣けたり…。  “老い”を楽しむ一冊です。  読書メモより
 彼女は言う。辛抱できずに,この世を〈我が〉の思うままにしたいと欲することが我儘なのだと。  近年,ご近所トラブルが殺人事件にまで発展している。そして,老人同士の我儘が原因のケースが少なくない。「お互い辛抱しましょう」という言葉が,まったく通じなくなっている。  「我慢できない→我儘→人から敬遠される→孤独 という図式は,老いを重ねると逃れられない宿命なのであろうか?  人は歳をとると子供に戻ると言われる。しかし,子供は成長すると次に思春期を迎え,大人となり,最後に老年を迎える。それならば,老人も次は大人に戻り,青春を取り戻し,最後に子供に戻ればいいではないか。それがなぜ,老人は〈大人〉も〈青春〉も一気にすっ飛ばして〈子供〉に戻るのであろう。しかも聞き分けのいい子供ではなく,我慢のきかない〈幼児〉なのである。  歳をとると,脳は様々な機能を衰えさせるばかりで,いいことなど何ひとつないと私は思っていた。しかし,今回の帰省で,むしろ歳をとってから脳に優れた特性がいくつか加わることに気づかされたのだった。  ひとつは,「…。  もう一つは,「…。  五十歳を過ぎた頃,夫が言った。 「俺はもう,今後人生で新しいことを覚えるのは一切やめた」 「仕事のやりとりは,電話&ファックスに切り替えた方がよっぽど時間と労力が短縮できるのではないか」 (楳図かずお氏)「僕は,まだ現役活動中ですから,生活はないんです。必要ないんです」
   「目次」から 一 老いては夫を従え 三 青春返りの,ススメ 四 アナログ脱却のタイミング 八 若いつもりは,脳の見栄 十 五十過ぎてからのデジタル 十一 母親魂,再燃!!        十二 捨てられない写真とビデオ 十三 五十代からは何を着る? 十四 怒りが止められない 十五 脳のメモリ削除法 十九 これって死語なの? 二十 自分史アルバム 二十三 朝の連ドラ並みの人生 二十七 ゆるゆると老いる など