戦没者追悼式でした。
午前中は“曇り”だと思っていましたが,朝,強めの雨が降っていました。
朝食前,当番となっている用意に出ましたが,その時は小雨となり,傘をささずに準備ができました。お天道様,ありがとうございます。
それにしても,「夏は何処へ行ったんだ」と叫びたい気分です。
明日も雨模様…。
今日は,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」でした。
地区の遺族会役員とともに,愛知県戦没者追悼式に参列しました。
会場のウィルあいち(愛知県女性総合センター)に,“入場完了”とされた時間より早く着きましたが,すでに席は埋まっていました。
追悼式は,
・開式の辞 ・国家斉唱 ・式辞(愛知県知事) ・黙祷 ・天皇陛下のおことば(全国戦没者追悼式同時放映) ・追悼の辞 愛知県議会議長 遺族代表 ・献花 ・閉式の辞の内容でした。 大村知事は,式辞で「“遺族”の苦しみ,哀しみ」に思いを寄せ,「県民の英知と努力」により復興したことは「尊い犠牲の上に」あることを忘れることのないよう話されました。 また,今後の「アジア競技大会などの取り組み」をあげ,「愛知県が先頭に立って」いくことを力強く言われました。 遺族代表のあいさつは,97歳の服部芳子氏が「遺族の歩んできた“道のり”」を述べ,そこから「英霊の礎の上に,現在の平和と繁栄」があること忘れずにいるよう言われました。お歳を感じさせない声でした。 初めて戦没者追悼式に参列し,英霊に感謝するとともに,「平和の尊さを感じる」「次代に伝える」ことについて深く考えました。 それは,単に“今を続ける”ことではないと感じました。そのための「これからの形」がありそうですし,それを創っていくことなく次代に伝えることは難しそうです。 献花のようすを見ながら,いろいろ考えました。 移動で走った新東名は,混んではいませんでしたが,県外ナンバーが目立ちました。 目についたのが,行き(下り)は「春日部」「富士山」,帰り(上り)は「横浜」「野田」「湘南」でした。 一番遠方と思われたのが「熊本」。 “ひらがな”の地名も,結構ありました。 上りで見かけた「野田」ナンバーは,初めて見た気がしました。でも,どこのものか分かりません。 検索すると,「野田って何県?」と同じように気になって調べた方が多いようで,たくさんのサイトがヒットしました。 「野田」は…。