『すべの教育は「洗脳」である』(堀江貴文・著)
暖かい日となりました。気温が上がりましたが蒸し暑くはなく,過ごしやすい暑さでした。
午後,空を見上げると,積雲が大きく“育って”いました。
夏がやってきました。
書店で平積みになっていた『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論(光文社新書)です。
堀江氏は,“特異な個性”で話題を振りまき,実業家として“成功”している方だと思います。
ライブドアが隆盛にあるときは,まさに“時代の寵児”でした。行動・活動の一つ一つが時代を作っていました。
「やってみたい」「やってみよう」と考え,言う人は多いのに,それを行動する人が少ないと堀江氏は言います。
「はじめに」のなかで,
冒頭に挙げた「やりたいけど,やらない」人たちの脳裏にあるのも,「自分はまだ実力不足だから」という自己否定に他ならない。 やりたい,動き出したい気持ちはある。右足はなんとなくアクセルペダルを踏んでいる。でも同時に,左足でブレーキペダルをベタ踏みしている。しかし,そのことに気づけない。我慢が習慣化しているからだ。学校教育が作り出すのは,こうした無自覚の習慣に他ならない。と“学校教育の洗脳”を問題視しています。 本書では,学校教育の成り立ち(?)から始まり,「G人材」と「L人材」に分けて述べていきます。
今後人生は,生まれた国や地域に関係なく,生き方,考え方,働き方の面において大きく二つの方向に分かれていくだろう。 一つは,世界規模──“グローバル”を行動範囲とする「G人材」 そしてもう一つは,地元──“ローカル”に根づく「L人材」である。この二つが対比的に表でまとめられています。 それを見て,「自分はG人材だ」「L人材だ」と言える方は少ないでしょう。 二者択一で言われると,「一つ目はAだが,次はB,そしてB,A…」など項目によって大きく揺れることが目立ちます。 しかし,このG人材とL人材では,項目による揺れは少なく,「どちらかと言えばG人材…」と答えられるのではないでしょうか。 そして,項目の中で「N(国民国家)幻想」「こだわる場所」「生きている時間」などは,LからGへと若い世代になるにつれ変化してきていると思います。 話題になっている「働き方改革」の動きも,異なる世代で作られたものは「そうだね」と言いつつも,実効を伴わないもになっているのは,この“変化”が生かされていないからのような気がします。 今の生活に“何となくもやもや”とし,「やってみたいのは…」と考えがある方は,本書を読んでみてはいかがでしょう。 そして,明日からの行動を変えましょう。 読書メモ
○ こうした人たちに僕からできるアドバイスは一つ。 そんなことは気にするな,好きならとにかくハマれ! だ。 ○ サッカーという入り口は,サッカー選手という出口にしかつながっていない…とても窮屈な考え方だ。まさに,「用意されたレール」式の発想である。 ○ 貯金をめぐるこのカラクリは,そもそもどこから始まったのかについても理解しておこう。 実は「たくさん貯金するのはいいことだ」という価値観は… ○ ただし,僕の考える「持っているものを大胆に使うべき大事な場面」は,結婚する時でも老後でもない。 それは「今」だ。 ○ 「みんながやっている努力」をやってもいきなり突き抜けるのは難しいが,「誰もやっていなかった」領域なら,一足飛びで大きなリターンが生まれる確率は高い。 ○(ほとんどの)会社の評価軸は「仕事」ではない。 ○ 人生に「ワーク・ライフ・バランス」などという考え方は無用だと思っている。 ○ 僕はいつだって「やればいいじゃん」と言う。だけど,「やれるようにしてください」という求めには応じない。なぜなら「怖くてやれません」というのは,単に「やりたくない」ということだからだ。 やりたいことは,大いにやればよい。 やりたくないことは無理してやってはならない。 ○ この本は「アクセルの踏む方教本」ではなく,「ブレーキの外し方教本」として書いた。 ○ 一人ひとりがもっと自由に,夢中になって新しい知を開拓できる時代がやってきたのだ。それは当然,新しい働き方,生き方のイノベーションにも直結している。「自由人」を選んだときを思い出しました。