集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

ピアノが納入されました。昭和の『先生のいろは』 13

ピアノ0322。 よい天気で,青空が綺麗な一日でした。  今日,先回(「このピアノです。」(2017年03月01日))選んだピアノが,つくで交流館に納入されました。  昨日の雨で,搬入口付近が緩んでおり“ちょっと苦労”しての設置となりました。ありがとうございました。  業者の方から,ホールやピアノ庫の状況を踏まえ,今後の保守,調律,管理などについて教えて(提案して)いただきました。  26日に新城市へ寄贈し,その日の催し「こけらおとし」の中で演奏していただきます。  つくで交流館の開館後,多くの方に演奏,利用していただきたいと思います。  みなさんも,ぜひどうぞ。  冊子『先生のいろは』の13回目です。年度末に向けて集中して紹介しています。  1977(昭和52)年頃と現在とは,社会のようすは大きく変わっていますが,「今も変わらず…」という内容もあります。年度末の今,改めて“今の先生方”にお伝えします。何か参考になることがあれば幸いです。
8 授業  (8) 先生よ くり返して述べよう   ア 教えすぎないようにしよう。教え過ぎるということは,理解も出来ず記憶もできにくい原因となるはず。前年度までに何を教えられたかを知ること。   イ しゃべり過ぎないようにしよう。考える時間が少なくなるし,親切過ぎるヒントは答えを教える結果となり,考えている時にしゃべる事は迷わせることにもなる。話す,聞く,書く,考える,仕事をする等を織りまぜて。   ウ 皮肉はやめよう。例えば,「こんな事がわからんのかね。」「3人しかわからんのかね。」「○年生の時勉強したはずなのにねえ…。」といったことばは楽しくない勉強にする方法。欠点ばかり言うような人に教えられたくない。  質問が適当でなかったのかな。教え方がいけなかったのかな。と反省してみてはいかがでしょうか。いい先生ですね。   エ 自主学習とか自発学習とか主体的学習とかいって,子供達にまかせて学習させる方法が研究され推進されている傾向がみられる。悪いことではないが,以上のような形態をとるには,事前の指導が充分されなくてはならない。初めから教師が指導する方が容易であるはずである。  放任がよくないことは当然であり,教師不在であってはならないし,教師は教師として主体性を失ってはなるまい。  こどもはあくまでも子供でり,教師の代行者ではないと私は思う。   オ 学習とは,学び方を習うのであって,単に知識技能を教えるだけではないと言う。その通りであるが,知らないこども,方法がわからないこどもに対しては,教えるべきことは徹底して教えなくては,こどもの疑問を解くことも出来ないし,更に学習を深めていく意欲がわいて来ないはずである。   カ 学習意欲をもたせ,高めてゆくことが学習では特に大切なことである。それにはどうすればよいのだろうか。    a 学習(授業)する前に,わからない所や疑問点がどこかわかることが必要である。予習である。    b わからない…,疑わしい点がわかることである。そのために苦しむことやむずかしい事があってもよい。それを経て,わかることが楽しみを増す因となる。最後までわからない理解されないでは,前進の姿勢が止まる。    c 個人の力に応じた課題が与えられることが大切であり,出来もしない課題ではとり組む気になれない。    d 理解しようとする努力を認められ,時には協力してくれる人が得られることはうれしい。はじめる前の指導,やっている時の励まし,やった後の認証が大切である。やりとげさせる努力が必要である。    e 前にも述べたように,教師はこの際,わからせるための学び方を指導してやりたいものである。教師は教え方をこそ,子供は学び方の研究を    f 子供の好きなことをのばしてやりたい。何かに役立つ人にしたい。得手に帆をあげる指導が必要であるし,取り組む努力は楽しいと思う。   キ 班には,生活班と学習班がある。学級会の活動(係)や通学団の活動や教科別の研究班や新聞班や掃除のための班や各種各様であるが,好きな者どうしだけの班ではなるまい。世の中は思い通りにはならない中の生活の中で社会性がつちかわれてゆくのではあるまいか。   ク 教材研究の深さの差が,授業の効果の差をつくる。いうまでもない。    a 単元の指導目標と指導区分とそれぞれの時間に指導する目標    b 教材観 〜  どの学年で,どのように指導されるのか。他教科との関連はどうか。指導内容の精選(割愛)なども含まれよう。    c 児童(生徒)観 〜  指導内容について,こども達はどのような体験をしているか。その程度の関心と理解があるのだろうか。時には,事前調査が必要となる。  家庭や地域などの実情なども知る必要を感じる時もある。    d 学習形態の検討    e 指導器具や資料の検討と準備(板書まで考えておくのがよい。)    f どの過程で,どの子供を,どのように生かして使うか,やらせるか。    g 授業前にやって来ること。授業後の学習としてこどもにやらせること。   以上の例のような事を考えて授業案ができるわけである。   ケ 5分間テストといわれるテストがある。授業前に行うのは,前時のことをしっかり復習させる意図があろうし,終了直前に行うのは,指導内容がどの程度理解されたか,指導不十分な点はどこであったか等について教師が反省する資料となる。   コ テストは教師みずからが,指導した実態にそって問題をつくるべきであり,市販のを利用するのはおかしい。反復練習のためのドリル教材として与えるのなら話は別である。  ペーパーテストによるテストは常に,読解力テストであり,その教科のほんとの実力を知るには適していないことがあることを知るべきである。 「くばってある白地図へ,先生が言う都市を記入しなさい。というのと,「次の白地図へ,札幌市,栃木県……を記入しなさい。」では違うでしょう。  実技を伴う教科で,すばらしい技を見せてくれるのに,ペーパーテストがまるでできていない時,理解していないとほんとに言えるのだろうか。  とにかく,一般にいって評価の方法については論は尽きない。ただ言えることは,テストの成績をみて,教師の指導法の是非を反省するには,大変有効な資料であるということある。前にも記したかもしれないが,何点を取ったとしても,全員が満点をとろうと努力したのだと知ってほしい。
 次回は,「9 ??」です。 【昭和の『先生のいろは』】  ○昭和の『先生のいろは』 「校門を入って」(2017/02/16)  ○昭和の『先生のいろは』 2 「玄関や子供の昇降口に立って」(2017/02/18)  ○昭和の『先生のいろは』 3 「校長室や職員室を眺めて」(2017/02/21)  ○昭和の『先生のいろは』 4 「廊下や土間廊下を歩いて」(2017/02/23)  ○昭和の『先生のいろは』 5 「便所」  ○昭和の『先生のいろは』 6 「各種の室(教室を除く)」  ○昭和の『先生のいろは』 7 「教室(前半)」  ○昭和の『先生のいろは』 8 「教室(後半)」  ○昭和の『先生のいろは』 9 「授業(1)〜(4)」  ○昭和の『先生のいろは』 10 「授業 (5)書くこと」  ○昭和の『先生のいろは』 11 「授業 (6)仕事をする」  ○昭和の『先生のいろは』 12 「授業 (7)学習形態」  ○昭和の『先生のいろは』 13 「授業 (8)先生よ くり返して述べよう」  ○『先生のいろは』 その9 「??」  ○『先生のいろは』 その10 「あたたかい先生に」  ○『先生のいろは』 おわりに