昭和の『先生のいろは』 9
もう少し日差しがあるかと思っていましたが,雲が多く気温の上がらない一日でした。
今日,福島県から手紙(荷物?)が届きました。
新しい「縁」をいただきました。
これからの活動や広がりを楽しみにしながら,わくわくして手紙を読みました。
ありがとうございます。
冊子『先生のいろは』の9回目です。年度末に向けて集中して紹介しています。
1977(昭和52)年頃と現在とは,社会のようすは大きく変わっていますが,「今も変わらず…」という内容もあります。年度末の今,改めて“今の先生方”にお伝えします。何か参考になることがあれば幸いです。
8 授業(1) 始業,終業の合図は時間的に長すぎが多い。特に授業の終わり頃,まとめに熱を入れている時,長くやられるとまるで気が散ってだめ。4時限の終了の合図などは,給食の合図ともいえるのだから。終業合図はやめでもいい位。
(2) 消防自動車というあだなの先生がいた。その理由は「サイレンがなるとすぐ来る」というのであった。すばらしい先生である。
遅れてゆく先生は,いつもきまっている。生徒が呼びに来て腰をあげる者もいる。おくれた分数に子供の数をかけただけの時間を遅刻したと考える心掛けがほしい。30人のクラスで2分遅れたとすると1時間おくれたことになる。逆に,延長授業もいいことではない。
(3) 人にはくせがある。あまり感心できない例をあげよう。
ア 黒板や教卓などにもたれたり,教だん上を左右に歩きながら話す人。
イ 持っている本やノートや新聞などすぐ丸めてしまったり,持っている教便用の棒などをすぐ曲げて,時には折ってしまったりする人。
ウ 視線が,とかく運動場側へゆく人。窓側へ行く人。つまり,一方ばかり見ている人。時には前を見ずに天じょうばかり見やすい人。
エ 上記と同じように机間巡視をする方向が偏る人。
オ ことばにくせがありすぎると,聞き手は内容を聞かずに,くせことばを数えたりする。
例: つまり…。結局…。あー…。えー…。等。
(4) ことば 発問
ア 自分の子を呼ぶ時は「ちゃん」や「君」をつけているのに,よそ様の子を呼ぶのに呼び捨てにして得意になっている先生がいるのは情けない。呼び捨てにすると,先生の権威があがるのでしょうか。呼び捨ての方が親密なんでしょうか。私は思う 〜 しかる時でも呼び捨てにはしたくない。自分を自分で先生なんて呼ぶ人は,心を静めて深く考えてみなくちゃね。(高学年になる程)
イ 子供を呼ぶ時は,名前を呼んでやろう。「お前」「君」「その前」「その右」「その後ろ」「次」などと呼ばずに,親がつけてくれた名に「さん」とか「君」とかをつけて呼んでやりたい。
親密に感じさせるには,姓より名を呼べ。「さん」「君」が普通ですね。つまり,名の呼び方でも,えこひいいきがあることに注意しよう。
いくら叱るときでも,「ばか」という言い方はさみしい。ご自分は?
ウ 男女,それらしく話しなら気にならないが,らしくないと嫌ですね。特に,にやらにやらしている若い男や,ことばだけ聞いているとまるで男と思われることばつきのご婦人教師,一概には言えないけれど関心できないね。
エ 発問と答え
a 発問は,抽象的になる程,いろいろな面から考えさせることになる。
例えば, 「○○についてどう思いますか。」の類。答えは,ばらばらになる。徳的判断を求める時などは,これでないと考えさせることにはならない。具体的すぎると考えが浅くなる。どちらがよいか時を考えて。
b 発問は,あいまいでは困る。わかりやすくしてほしい。(具体的)
例えば, 「あなたの体についている物には何がありかすか。」の類。答えは,「帽子,着物,靴」などがあり,「耳,腕,足,へそ,ちんちん」等もある。
c 発問は,多くの人に答えさせずに,一人の子供にわかる範囲内でなるべく多く答えさせたい。その外にまだ求められるとか,別の答えをもとめる時,他の子に移りたい。こんな時,教師のヒントの出し方を考えたいもの。
d 発問したら,十分考えさせる時間をおこう。途中で,あれこれしゃべりすぎないように。考える妨げとなる。
答えようとして手をあげる子供が出て来た時,「こんな事がわからんのかね。」「5人だけかね。」などなど。誠にいやな皮肉の言葉が次々と出る人がいる。
e 指名もしないのに,発問すると,すぐに答える「おしゃべりっ子」がいるものだ。他の者に考えさせる余裕を与えない結果となる。これはやめさせなくてはいけない。
「おしゃべりっ子」をわからせるためには,時にはテープでもとって聞かせてあげなさい。しゃべってばかりいるのがよくわかる。
f 話すことと聞くことは裏表である。他の者の言うことを充分聞くことが次の発問となり,次の答えとなるのである。師弟ともに心すべきこと。
g 段階的によく考えさせるためには,最初のうちは不完全な答えを得る方がよく,だんだんと完全にしていくこと。教科書だけが正答ではない。
h 答えに対して教師は正否をあいまいのまま過ぎてはならない。不十分でも正しいものは正しいと認めてやりながら,多角形的に答えさせる為に1時限の中では,なるべく多くの生徒に話させるようにしたい。
オ 答え と 発問
a 答えの初めは「はい」から始めたい。
答えの終わりに,「ます」「です」のようなことばがほしいですね。
b 「どう思いますか?」と聞かれたら,「……と思います。」
「……どうしましたか?」と聞かれたら,「……しました。」
「……どう言いましたか?」と聞かれたら,「……と言いました。」
というように答えてほしい。
c 他の人の答えに対して,「別の意見」「つけ足し」等と,ハンドサインを出して意見を出す学校が最近多い。いいことである。他の人の意見を全部聞き終わってからの意思表示でなくてはいけない。
d 答えを出すまでの資料をはっきりするとおい。勉強してきた実績をほめてやりたい。(辞典,事典,図かん,参考書,その他)
例:○○さんが言いました。 ○○に書いてありました。
e 「考え中です」「わかりません」「知りません」と,はっきり言いきれる答えは立派だと思います。言い切れずに立ったままだまっている者も多いのに。せめて「忘れました」と言えれる人になってほしい。
無理な事を要求された時に,「いやです」「だめです」「できません」とはっきり返事のできる人間に育てたいと,痛切に思うんです。
こんな立派な答えを,返事の「はい」も言えずに,すわったままで言うような者は,私は許してあげない。堂々と答えてほしい。恥ではあるまい。
f 「わかった人?」という先生の声に応じて,子供達が手をあげる。わからない人は挙手をしないことになるので,そういう者にとってはつらいことである。低学年ほど,「はい」という声が多い。全然とめる必要もないだろうが,中学年になるにつれて少なくしたいし,考える時間をとった後は,挙手なしでも答えさせることができるので,考えてもよいと思う。わかっていても挙手しない年頃のことも考えよう。
g 劣った者にも答えさせる機会を与えてやりたい。時には,聞くこと(答えてもらうこと)を先に教えてやってもいいではないか。本を読ませること,地図で場所を示すこと,数学などを黒板に出てやること等,彼等を認めてやることを考えてやりたい。こういったことが,ほんとうの平等な指導ではあるまいか。他の子供達は「えこひいき」というでしょうか。
カ 話しことばは,なるべくわかりやすいことばを使おう。特に低学年では,
○ 音読より訓読で話そう。低学年程。新しくなった先生よ,注意してほしい。
例: ・静しゅくに〜静かに ・黙読〜声をださずに読みましょう ・挙手〜手をあげて ・注目〜よくみて
○ 上記と同じことですが,なるべく熟語を少なくしよう。
例: ・登校時〜学校へ来る時 ・横断〜横切る ・目標〜めあて
○ 外来語でなく日本語で
例: ・正しくキャッチして,スピーディーに書いてください。
・あしたの図画の時間はフルーツのデッサンをしようね。くだもののない人は,野菜を持って来てくださいね。
学校で,一番多くの時間をつかうのが授業です。それが“充実”していないと,学校は楽しくありません。
先生,今年の授業はいかがでしたか。
次回は,「8 授業 (5)書くこと」です。
【昭和の『先生のいろは』】
○昭和の『先生のいろは』 「校門を入って」(2017/02/16)
○昭和の『先生のいろは』 2 「玄関や子供の昇降口に立って」(2017/02/18)
○昭和の『先生のいろは』 3 「校長室や職員室を眺めて」(2017/02/21)
○昭和の『先生のいろは』 4 「廊下や土間廊下を歩いて」(2017/02/23)
○昭和の『先生のいろは』9 「授業」
○『先生のいろは』 その8−2 「授業 2 書くこと」
○『先生のいろは』 その8−3 「授業 3 仕事をする」
○『先生のいろは』 その8−4 「授業 4 学習形態」
○『先生のいろは』 その8−5 「授業 5 先生よ くり返して述べよう」
○『先生のいろは』 その9 「??」
○『先生のいろは』 その10 「あたたかい先生に」
○『先生のいろは』 おわりに