集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

昭和の『先生のいろは』 4

花0223。 昨夜,強い雨が降っていました。今朝は弱くなっていましたが,昼過ぎまで降り続きました。  夕方になって日差しを感じられる空になりました。  明日は晴れるかな。  今日,本市の市議会本会議第1日でした。10時からの「予算大綱説明」「教育方針説明」があり,ケーブルテレビやインターネットで中継がありました。  午前中は文書作成・編集をすることにして,ケーブルテレビ中継を流しながら(聞きながら)作業をしました。  市長の「予算大綱説明」では,事業のねらいや概要,予算の説明がありますが,そこで聞かれる「地域個性,自治,誇り,気概…」などの言葉が気になりました。  教育長の「教育方針説明」は,まず「共育で激変の時代を生き抜く」をテーマと言われました。聞いていて「学校を拠点とする共育,子供も大人も若者も高齢者も男性も女性も,生きがい,理念,おらが学校,共育学校,教師の自己研修,部活動,文化活動…」の言葉が残りました。  「うん。何か…。何かなあ…。」  議員のみなさん,市民のみなさん,いかがでしたか。   ◇新城市   ◇新城市 市議会   ◇市教委だより新城市教育委員会)  冊子『先生のいろは』の4回目です。年度末に向けて集中して紹介します。  1977(昭和52)年頃と現在とは,社会のようすは大きく変わっていますが,「今も変わらず…」という内容もあります。年度末の今,改めて“今の先生方”にお伝えします。何か参考になることがあれば幸いです。
4 廊下や土間廊下を歩いて ○ 玄関に花台が置いてあるように,廊下の所々の中央に花台や植木鉢が置いてあったりする。その花台に「右側を静かに歩こう」とか「護美箱(ゴミバコ)」と書いてあったりする。避難非常時の邪魔になるので場所と数など考慮したいですね。 ○ 廊下にセンターラインが示されている所が多い。低学年などはあった方がよいでしょうが,高学年や中学校以上はなくても交通ルールを守るようにしたいし,小学校の低学年などは,とび出し事故が多い実態など考えて,一旦停止線などいかがでしょう。 ○ 廊下や土間に紙屑やごみが落ちていたり,チューインガムが床板にまるくはりついていたりする。拾ってごみ入れに捨ててほしいが,よごさない捨てない指導が大切。「落ちている物を先生が拾っては指導にならぬ。」ほんとうかね? ○ 廊下やザラ板や,とに角板に打った釘が頭を出したり,画鋲が落ちていたり床板につきささって頭が光っていたりする。釘は頭をたたき直すのでは又すぐ出てくるので,一度抜いて別の所へ打たねば効果がうすい。 ○ 保健室に「休憩中」というランプがついたり,赤電球が用意されて廊下を通る人に注意をうながすと同時に,職員室や会議室に「会議中」という標示が出ていたりする。 ○ 「この窓はあけないでください」とか,割れたガラスの代わりに紙がはられたり,ベニヤ板がはられたり……それがかなり以前にされたらしいというのがある。1日も早く修理してやりたいですね。自分の家なら,そんなに長く放置しておくでしょうか。 ○ 手洗い場や掃除水を出す水道の蛇口から,しめてあるのに水がぽとりぽとりともれているのがある。ちょっとパッキンをかえればよいのに,水の大損失である。  また飲むことが許されているのなら,所々の蛇口は,上下左右にまわる蛇口にしておいてやるとよい。特に運動場のはそうしてやりたい。 ○ 教室の出入口(その他の所も)は,なるべくドアより引き戸がよい。故障も少ないし,事故も少ない。それにしても戸車がいたんであけた時に異様な音をたてたり,動きが不自由なのは誠に気分が悪い。すぐ戸車をかえるなり注油するなりしてやろう。しばらくはよいはずですね。 ○ 所々に,消火栓や消火器がある。あるだけでは駄目で,常にその使用法をみんなが知り,整備しておくことが大切。  非常口の開閉,非常階段やはしご,救命袋など,すべてが同じである。 ○ 児童会や生徒会の掲示黒板やポスターや学校新聞や教材ニュースや時事ニュースや子供の図画習字等の作品やいろいろな写真や……などなどが廊下や土間に出されている。それは結構であるが,あまりに古いもので色がかわっていたり,出されている場所に近い子供達に読める字でなかったり,誤字脱字があったり,画鋲などがとんでびろびろしていたりする。はじめてはり出したり書いたりした気持ちで見守ってやりたい。先生も子供も。 ○ 中学校とは限らないかもしれないが,学年一斉テストの成績を一覧にして掲示してあったりする。ほめてやろう,はげましてやろう,自覚させよう,いろいろ目的はあろうから,頭から反対する意図はないが,と角偏知主義になりやすく子供達の心をいためる大きな原因ともなることを思って,高点順に何分の1かを発表するのでなく,前回より○○点上まわった者を50音順に発表するなどの方法はいかが。 ○ 廊下に限ったことではないが,各所においてある鏡のよごれが気になってならない。何のための鏡ぞと言いたくなる。心を鏡にうつすというほど大切。  折角の時計が止まっていたり時刻が違っていたり,花びんの花が枯れていたりしては,むしろ無い方がよいとさえ思われるのと似ている。 ○ 渡り廊下(土間)にあるザラ板は,土間へ上ばきでおりないようにするためであろう。土間の両側に置くこともよし,あるいは往復する両者が自由にザラ板の上で交われるだけの幅が必要となる。  ザラ板が運動場に持ち出されて別の目的のために使われることがある。こんな時,それぞれのザラ板が正しく元の場所に戻せるように,土間毎に色別にし更に番号までペンキで書いておくとよい。こんな学校もありました。 ○ 土間廊下の中を二段にし,高い部分は上ばきで,低い部分は下ばきでと区別してある学校もあり,ザラ板が不用となる。 ○ 土間の状態が悪いと,ザラ板をふむたびに大きな音をたててわずらわしい。こんな所のザラ板の足へ自転車のタイヤの切れっ端を打ちつけておくと音が消えてよいそうな。何よりも出ている釘の頭が気になるものである。
 今では,「廊下にセンターライン」や「テストの成績を一覧にして掲示して」ということは見かけないでしょう。  それは「時代が変わったから」でしょうが,その事柄への“指導のねらい”は,今は必要でなくなったのか,あるいは,別の形になったのか,どうでしょう。  もしも,「必要なくなった」ものが多いのなら,ひょっとしたら“今あること”にも,「無くなって困らない」ものがたくさんあるような気がします。  学校内で“普通のこと”を見直すのは,「今でしょ!」  ところで,学校内には「ザラ板」と呼ばれる物が使われているでしょうか。  次回は,「5 便所」です。 【昭和の『先生のいろは』】  ○昭和の『先生のいろは』 「校門を入って」(2017/02/16)  ○昭和の『先生のいろは』 2 「玄関や子供の昇降口に立って」(2017/02/18)  ○昭和の『先生のいろは』 3 「校長室や職員室を眺めて」(2017/02/21)  ○『先生のいろは』 その4 「廊下や土間廊下を歩いて」  ○『先生のいろは』 その5 「便所」  ○『先生のいろは』 その6 「各種の室(教室を除く)」  ○『先生のいろは』 その7 「教室」  ○『先生のいろは』 その8 「授業」  ○『先生のいろは』 その8−2 「授業 2 書くこと」  ○『先生のいろは』 その8−3 「授業 3 仕事をする」  ○『先生のいろは』 その8−4 「授業 4 学習形態」  ○『先生のいろは』 その8−5 「授業 5 先生よ くり返して述べよう」  ○『先生のいろは』 その9 「??」  ○『先生のいろは』 その10 「あたたかい先生に」  ○『先生のいろは』 おわりに