『三の隣は五号室』(長嶋有・著)
「今週は暖かい日が…」の予報通りに,穏やかで厳しい寒さを感じない日でした。
とはいえ,やはり気温は低く,氷が張ったり,道路が凍結したりしています。
みなさん,風邪などめされませんように。
先日,携帯の更新を考えて販売店に行きました。その携帯は使い始めた頃から調子が悪く,すぐに購入店に相談し対応してもらいました。それでも改善せず,我慢し(諦め)て使ってきました。その後の相談も…。
今回,その理由が分かりました。
「なぜ分からなかったの…」とも思いますが,販売員には無理のようです。
学びました。「もしかしたら…」の意識を広く持っているように,と。
今日,教育(子育て?)についての相談がありました。
「前にAとしたので,○○はしません。」
“正しい判断”でしょうが,「自由人」から見ると,そこに“今(目の前)の子供”が置いてきぼりにされているような気がしてました。
大人の事情もあるでしょうが,子供の成長や親の成長(満足?応援?)を優先していきませんか。
「“知らない”ということは,“素直”になれるものかもしれません。」
「本を読むのが好きですが,評は苦手なようです。」
図書館の書架に並んだ本から“何気なく”手に取った『三の隣は五号室』(中央公論新社・刊)を読みました。
帯を読み,そこに書かれていた「そして全員が去った。それぞれの跡形を残して。」から,「ミステリーかな。あまり読まないから借りてみよう。」と選んだ本でした。
本を開くと,扉もなしに「第一話」が始まります。
変な間取りだと三輪密人はまず思った。右手には煙草を,左手には汚れたブリキ皿を水平に持ちながら。 内見はせず,間取り図もろくにもみずに (略)と。 何となく怪しい感じを漂わせてくれます。 そのまま読み進め…。「あれっ。」「おやっ。」 淡々と住人の描写が続きます。 話のなかに入っていきにくいまま,住人が代わりながら描写が続きます。 五号室の住人は,それぞれに接点はありません。「第一藤岡荘の五号室」に住んだ人という“共通点”をもつだけです。 一話一話に“大きな物語”は見いだせず,“連作”としてのつながりは見いだせず…。 「いろんな人が住んだんだな。」とは思いますが…。 昭和60年代に建てられた第一藤岡荘の一室を,約半世紀に渡って描きます。そこで暮らした13世帯の人々の“ささやかな出来事”を描き,その時代が映し出されます。 13世帯の暮らした五号室は,「変な間取り」(第一話)です。
「六畳,四畳半,キッチン三畳」と契約書にはあるが,それと別に「玄関の間」とでもいうべきスペースもある。玄関の右手にはトイレ,左手は風呂と洗濯機置き場,玄関からみると,ノブのついたドアと障子が横に並んでみえる。 右のドアノブを開ければ台所(左の障子は四畳半に続く)。台所に入ると,左手にも正面にも障子。左を開ければ四畳半で,正面は奥の六畳間。 最後の六畳間に入ってふりむけば,一面が四枚の障子戸で,その右側を開ければ四畳半。左を開ければ台所に戻る。この“時”と“空間”の流れが,「何か…。何かなあ…。」 登場する住人と一緒に,五号室の“時”と“空間”に身をゆだねてみませんか。 記事を書こうと,書籍と著者を調べて“ビックリ”。 本書は,「第52回谷崎潤一郎賞」の受賞作でした。 さらに,長嶋有氏は芥川賞作家(第126回/2001年下期)であり,第1回大江健三郎賞(2007年)も受賞されている方でした。 そんなことも知らずに,本書を手にしていました。 もし,それを知って読んでいたら…。
目次 第一話 変な間取り −扉/間取り図/目次− 第二話 シンク 第三話 雨と風邪 第四話 目覚めよと来客はいった 第五話 影 第六話ザ・テレビジョン! 第七話 「1は0より寂しい数字」 第八話 いろんな? 第九話 メドレー 最終話 簡単に懐かしい【関連】 ◇長嶋有公式サイト ◇ブルボン小林公式サイト ◇ 長嶋有情報 @nagashimajoho(Twitter)