先人に学ぶ(13) 昭和54年「教育の課題」
朝から雨が降っていました。午後には,雨が上がり,路面が乾いてきました。
明日は,よい天気になりそうです。
夏休みが近づいてきました。
先月の「先人に学ぶ(12)」で,夏休みに向けた「準備」と「1学期のまとめ」に触れました。
夏休みも,子供達に“さまざまな活動”を求めます。課題であったり,行事であったり,いろいろです。
それについて教えられた「先人の言葉」から。
行事が《点》となっていないか,「夏休みの活動だから,休み前に,どんな活動をするのか」といったことを考え取り組んでおきたい。 生徒の活動は「計画的であれ!」「改革的であれ!」「研究的であれ!」「協調的であれ!」「文化的であれ!」。子供達にとって,どの子にも「初めての夏休み」です。 それは1年生だけのことではありません。昨年から“1年間の成長”を経た夏休みです。言葉で「夏休みは…」と伝えるだけでは,1年前に戻ってしまう子も少なくありません。 そうした教師の“甘え”への警鐘でした。 昭和54年3月に当地で行われた教頭研究会で,校長会長の講演がありました。そのなかで「教育の課題」について述べてみえました。 37年前の話ですが,現在そして今後の教育について,再確認・再認識したい言葉がありました。
それは子供達の本来的な欲求であるとぼくは思う。そうゆうものを,どうゆうふうに知的な教養を子供達に蓄えていくか,文化的な遺産を蓄えていくか,(略) そういう内から求めてくる知的な欲求とゆうものを求むる,そうゆう学校生活を作らなければいけないと思う。(略) そういう高まりっちゅうものがなけにゃならんじゃないか。実に,ぼくらの音楽のようなもんで,デカンショ節を歌ってみたり,芸者ワルツを歌ってみるような,そんな音楽レベルじゃ困るわけで,もっと今のような音楽教育を受けとりゃ,ぼくらでももうちょっと立派な音楽が,音楽的に利口になっとる。若いころ,「知的な教養」や「文化的な遺産」という視点から“指導の内容”について考えることを求められました。 ここでは音楽の例で語られていますが,どの教育活動でも「指導した。学んだ。」ことから“レベルが変わった”という姿が表れるのです。そうでなければ,指導も学びもありません。 お子さんの「1学期のまとめ」には,レベルの変化が見られるようになっていますか。 【今日の小咄】 うちのお婆さんは,「近頃,言葉がすぐに出てこないもんだから,ボケ防止のために,あれやってんのよ。ほら。あれ。」と言う。 「クロスワードパズル」という言葉はついに出てこなかった。