『ゼロの激震』(安生正・著)
天気の良い,暖かい日になりました。
今日,倉庫に置いたままになっていた箱を開け,古本や資料を片付けました。
古本は,「そのまま縛って出せば…」「ブックオフに持ってけば…」という声が聞かれそうですが,そうはいきません。
当時は“古書店に出す”という気はなく,むしろ“蔵書”という意識のある時代でした。
そのため,印や読書録を記していました。
それを外さずに出すのは気が引け,一冊ずつ確認しページを取っていきました。
今より本の表紙は厚く,装丁は頑丈(?)です。
梅原猛著作集などは「もったいない」ほどに立派ですが,もう一度読み返すことはないでしょう。
他にも…。
心残りはありますが,一気に処分。
気にしていると作業が進みません。印とメモだけを見て外して,題名や中には目をつぶって処分。
まだ続きます。
地震があり,豪雨があり,各地で災害が続いています。熊本県は,ダブルパンチです。
被災地の早い復旧を祈ります。
自然災害に不安を感じるなか,書名と帯の「迫りくる巨大マグマ! 関東消滅の危機…技術者たちはこの国を救えるのか!?」に誘われるように『ゼロの激震(宝島社・刊)を読みました。
以前に読んだ高島哲夫氏の『富士山噴火』(集英社・刊 2016年1月 6日)や『首都崩壊』(幻冬舎・刊 2014年8月15日)も,“未来シュミレーション(?)”から,これまでを振り返ったり,将来への備えを考えさせられました。
安生氏の作品を初めて読みました。
「ゼロ」シリーズがあり,その一冊のようですが,作品に描かれる“技術者の生きざま”に心が揺さぶられました。
作品の舞台は近未来。
“究極の自然エネルギー”としてのプロジェクトが完成しました。
ところが…
金精峠で土砂崩れが起こり,足尾町の人々は原因不明の死を遂げ,富岡では大火災が発生…
マグマが“想定外の動き”をし,東京を襲います…
「なぜ達冨さんたちの活動が取り上げられなかったのですか」 「俺たちの業界は人気がないのさ」 「まさか」 「報道が取り上げるのは,事実のほんの一部だ。語り尽くせない出来事が起こっていた。俺は現地で色々なものを見たよ。崩壊した街を歩いて,なんとか出勤しようとする人々の列,配送車もこないのに住民のために営業を続けるコンビニと,その前で食料をわけ合う人々。自宅の損傷状況を診断してあげた我々に,なにもお礼ができないからと老夫妻は手を合わせてくれた。あんなひどい目に遭ったのに,人々は懸命に生きていた。どの出来事も,どの光景も疲れ切っていた俺たちを奮い立たせてくれた。同時に自分たちの無力さを痛感したよ」 「三度目の今回も,君たちは最善を尽くしてくれた。この国を救えるのは君たちだけだ」 「神戸や三陸海岸で身を引き裂かれる悲しみにも屈することなく,困難に立ち向かった人々を思います。そして彼らの向こうに,新たな災害現場で私を待つ人々が見える。決して決断に臆病な人々ではありません」一方,こんな姿もありました。
「この事態が終息したあと,大株主へどう説明するつもりだ。へそ曲がりの機嫌を取るのは我々の仕事だ。気にできるわけがない」 「当社は公共性と社会性をあわせ持つ。そこらの営利企業とは異なる。大株主も大事だが,政府が筆頭株主であることを忘れてはならない」東京が消滅しようとしているときの“首相”に対して,「リーダー」であることを求めます。
「あなたを,我々を,信頼しているからだ!(略) そして,彼らに希望を与えることが我々の責務です。人々は強い政府を待っている。こんな時こそ,光となり得る政府をです」自然災害は起こってほしくない。 いずれ起こる。 その時に…。