「働く」ということ
今日は,もっと天気がよく「晴れの日」を期待していましたが,雲に覆われたままの一日でした。
湿度も高いようで,蒸し暑さを感じる日でした。
明日は,下り坂の天気のようですが,屋外の活動は大丈夫かな?
旅の途中で出会った方に,失礼ながら「震災の時は,(ここに)お勤めでした?」と声をかけました。
新築移転したホテルでは,「いろんな物が流れ込んでいて,それを片付け,修理をして営業を再開しました。」「自動車も刺さってました。」と,笑顔で話してくれました。
新しい建物で颯爽と働く姿に,もう話を続けてはいけない気がして,止めました。
温泉ホテルでは,直接津波被害はなかったものの,ライフラインが復旧するまでの水や食料のこと,温泉のパイプ(ライン)の状況が分からないことなど,避難から営業再開までの“懸命さ”を軽やかに話されました。
話をお聞きした方は,どなたも「当然のこと」として話されました。
しかし,大きな不安に押し潰されそうになりながらも,それを跳ね除け“職場で働いて”みえたことでしょう。
知人の釜石の校長(当時,副校長)は,子供達の安全確保と避難,その後の避難所対応や学校の復旧に取り組んで,自宅に戻ったのは数日後でした。その方の自宅は津波に流され,亡くなった家族もいました。
この話をお聞きしたのは,いろいろとお話をうかがったり,地区を案内していただいたりして,かなり時間がたってからでした。
家族のこと(自分のこと)と仕事のこと,難しい選択であったに違いありません。
その判断は,「子供」と「職場」を選びました。
あの日,多くの方が“究極の選択”を迫られ,それぞれの判断と行動をされたことでしょう。
それぞれの話に,「働く」ということを考えました。
震災とは関係ありませんが,勤務体系に興味をもった仕事をされている方(女性)に尋ねました。
「○○は,17連勤です。男性には,もう少し長い方もいます。」
別の女性は新人で,「14連勤です。この勤務を承知で仕事に就きました。」と。
14連勤の間は,ずっと勤務場所にいるのです。
驚きです。
あれっ,休みは?
「仕事をする」「働く」ということは,“稼ぐ”こととは別のことだと思います。
勤務時間や賃金などで“ブラック事業所・企業”という話になりますが,そこには「働く」ということが失われています。
出会った方々との話から「働く」ということを考えました。