3-1.1 富山市立堀川小学校の参観(1) (昭和に生きる)
天気が下り坂の予報でしたが、晴れて暖かい日でした。
故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“根”そして“幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。
本書のなかから、“その時”に読んで学んだ校長室通信を中心に紹介していきます。「考える」ことが、若い先生に見つかるといいなあと思います。
この項は、「昭和42年『考える子ども』56号」から構成されています。
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戦後教育史の片隅に生きる
教育行政の歯車のなかで
富山市立堀川小学校の参観 <1>
昭和四十二年十月二日、所用のため富山市を訪れた。若干の時間をさいて富山市立堀川小学校をたずねる機会をえたことは、わたしにとってほんとうにうれしいことであった。
ちょうど富山大の教育実習期間中で、学校はまことに多忙であったけれども、立野教頭、竹田教務主任のご好意によって、いろいろお話をうかがうことができたり、授業を参観させていただくことができたのは、幸いであった。
立野教頭は「まず子どもをみてください」といい、六年の国語に案内された。女子学生が指導にあたっていたが、率直にいって子どもにふりまわされて立往生といったところで、しばしば指導教官に指図を仰いでの青息吐息であった。時間も半ばをすぎるころ、ついにみかねたのか選手交替で、指導教官が教壇に立たれた。そうすると教室の中に一本の芯がとおったように、にわかに教室が生き生きとして、子どもも教師も問題の中に没入したのであるからまったくの驚きであったし、身のひきしまる思いがした。一朝一夕ではでき上がるものではないということを強く印象づけられたものだった。教頭の「子どもをみてくれ」という裏づけには、これがあるから確信をもって言い放つことができたのであろう。
参観授業についてお聞きする機会はもてなくて、今までの歩みや現在の問題点などをお尋ねした。わたしはもっぱら島根大の日比氏の批判を中心にぶしつけにも質問をしたのであるが、学校の考えを例に引いてていねいにお話をしてくださったのには頭がさがった。それは十年以上にわたる地道な先進的な共同研究を続け、その途上研究成果を三冊もの著書にまとめあげている年輪がしからしめるものであろうか。
学校参観記ならざる学校参観記は、堀川小の研究の推移を、著書を中心にお話を聞いたことも加味して綴ることにして、ぶしつけな質問のやりとりの中味はここではカットすることにした。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。