冷え込みのない朝、日中も雲っていましたが、気温が上がり、暖かい一日でした。
午前中、小学校の校長先生からお話をお聞きしました。
今年のこと、子供のこと、教職員のこと、地域のこと、これからのこと、少し先のこと…
わくわくする話、嬉しい話、楽しみな話、ここだけの話…
貴重な話を伺うことができました。
ありがとうございました。
故・
渥美利夫氏が還暦の年に著した『
昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
渥美氏の教育実践、教育論は、“
昔の話”ですが、その“
根”そして“
幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。
第一章に、
毎日新聞に掲載(昭和57年7月)された「
東海ストーリー──仏法僧の里」が紹介されています。そのなかに、渥美氏の“
子供の頃”をみることができます。
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昭和に生きる
東海ストーリー 仏法僧の里
経験生かして
教科書の「仏法僧」の教え方に疑問をもった渥美利夫少年は成長して学校の先生を職業を選んだ。五十五歳のいま、鳳来町と境を接する新城市の東郷東小校長を務める。
教える立場になって、当時の担任だった岡田顕雄先生(○○)の苦しい胸の内が分かるようになった。「必要以上に詳しく教えれば、地元の反発を招くとお考えになり、気をきかして触れんようにしたのかな」と思う。それにしても「地元の話が教材になったんだから、もっとほかに教えようはなかったものか」
後になって考えれば、疑問をもったことは、よかったかもしれない。「仏法僧」の授業に失望した結果、地域や実生活に根ざしそれをもとに、授業を進めなければいけないと、気づいたから。皮肉な言い方だが、これも、教科書から「学んだ」ことのひとつには違いない。
渥美さんは、「仏法僧」が村に波紋を投げてから、ちょうど十年後の昭和二十二年、先生になった。専門は社会科。鳳来町、新城市などの小中学校で教壇に立った。「自分が習った時代は教え方が画一的で、児童がどう感じるかは問題にならなかった。小学教育が、生活と遊離していた。これでは、いけない。子供が中心でなけれぱ。事実と生活に即し、そこから生まれる疑問を大切にしたい」。これが渥美さんの信念となった。
渥美さんは今、「経験主義」を主張する先生たちの全国的組織「社会科の初志をつらぬく会」の中心メンバーでもある。忙しい校長の仕事の合間に機関誌の編集を担当し、一か月に一回は上京する。
周りの人が驚くほど、学校の内外で精力的に活躍する渥美さん。その行動の源には、門谷小五年生だったころの、残念だった思い出が、いつもとどよっている。
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注)
これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
【参考;
気象情報】