集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

2.(13-1) 豊かで住みよい村づくり (わたしたちの村)

花0718。 天気のよい日,夏雲の美しい日でした。  ニュースが「体温並みの危険な暑さ…」と伝えていましたが,当地は涼しい風の吹く,気持ちの良い過ごしやすい天候でした。  郷土読本『わたしたちの村 つくで』(1995・平成7年 改定発行)の「二、作手のうつりかわり」からです。 ********     (十三) 豊かで住みよい村づくり    1 学校の統合と新校舎建築  1959(昭和34)年,伊勢湾台風の時,高松小学校は,うらの山がくずれて流れ出た土におしつぶされ,校舎が全部こわれてしまいました。 高松小学校0718。 高松小学校をつくりなおすにあたって,南部の高松・田代・旭の三つの小学校をいっしょにして,ととのった校舎をつくろうということになりました。そして,1961(昭和36)年4月から,協和小学校という新しい学校の建築が始まり,その年の9月には,鉄筋二階建ての校舎ができ,分教場に分かれて勉強していた子たちが,いっしょになりました。この時から,作手村の小学校は,菅守・開成・巴・協和の4校になりました。  中学校は3校ありましたが,1962(昭和37)年に中央中学校と北中学校がいっしょになって,作手中学校になりました。そして,1964(昭和39)年には,現在の鉄筋コンクリートの校舎ができ,1965(昭和40)年には体育館,1973(昭和48)年にはプールがつくられました。さらに,1974(昭和49)年4月には,南中学校が作手中学校といっしょになり,作手村の中学校は1校になりました。 開成小学校0718。 1981(昭和56)年には,巴小学校の木造校舎が二階建ての鉄筋コンクリートの校舎に生まれ変わりました。1988(昭和63)年には,菅守小学校の校舎が完成しました。このころからふたたび木材のよさが見なおされるようになり,外部は鉄筋コンクリートですが,内部は小学生が使いやすいように,作手村で生産された木材がたくさん使われました。1992(平成4)年には,バレーボールコートが2面もとれる開成小学校の体育館がつくられました。この体育館も,木材のよさを生かしたすばらしいつくりになっています。 ********  注)これまでの記事は〈タグ「わたしたちの村」〉で  注2)郷土副読本は,小学3,4年生に向けて「ふりがな・るび」がたくさん付いていますが,掲載にあたっては省いています。  注3)多くの写真や図版が載っていますが,すべてを紹介(掲載)していません。ご了承ください。