集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

2.(1-1) 作手のあけぼの (わたしたちの村)

花0603。 風の強い一日でした。  今日読んだ文書に,組織運営について書かれた内容がありました。「よい意見が出ない…」「新しいアイデアが出ない…」というとき,参考になりそうです。
 「ノー」を禁じた組織には,「ノー」を表現するための語彙が増えていく。「現実的に」を禁じた会議室からは,実際に実現できるアイデアが増えていく。  何か到達したい状態があるのなら,それを目標として声高に叫んでみせるよりも,目標と反対側の単語を禁じてやると,人間は案外,その方向に能力を発揮する。
 みなさんの組織では,"どんな語彙や表現”が多いですか。  今,チームや会議を主宰することはありませんが,取り入れてみたいと思いました。  みなさん,いかがですか。    郷土読本『わたしたちの村 つくで』(1995・平成7年 改定発行)の「二、作手のうつりかわり」からです。 ********     (一) 作手のあけぼの    1 土器がなかったころのくらし(無土器時代) 石器0603。 この時代には,左の絵図のような石(打製石器)がありました。自然の石をわって,一方をやりの先のようにとがらせてあります。これは,今から一万年以上も大むかしの人が使っていたもので,尖頭器とよばれています。  こうした石器は,守義の御頷や高里,高松,保永でも見つかっています。そのころの人は,このような石器を使って狩りをしていました。このほか,水や草の実を集めたり,草の芽や葉をつんだりして食べていたと思われます。    2 初めての土器(縄文時代  長い間,石や木の道具だけを使って生活していた私たちの祖先は,やがてねん土を焼いて土器を作ることをおぼえました。土器があれば,物をたくわえておいたり,にたりすることができるので,生活も進んできたと思われます。そのころの土器の表面には,縄目のもようがついていたものが多いので,縄文式土器といい,この土器を使っていた時代を縄文時代と言います。  縄文時代は今から8000年以上も前から6000年もの長い間続きました。たいへん長いので,早期・前期・中期・後期・晩期の五つの時期にわけて,研究されています。  作手の縄文時代の遺跡は,菅沼の田ノ口,守義の道貝津,高里の水戸口,戸津呂の小金沢や布路,高松の大屋貝津,田代の広畑,荒原の長者屋敷などが知られています。これらの遺跡からは,土器の破片や石器が出ています。よく調ベればもっと多くの遺跡が見つかるでしょう。 矢じり0603。 遺跡の場所は,南側のゆるやかな斜面で,日当たりがよく,小川に近くて水の便のよいところです。そのころの人は竪穴式住居とよばれる家に住んでいました。それは上の図のように,地面を丸か四角の形に少し掘り下げて床にし,柱を立てて,地面からすぐに屋根をふいたものでした。  このころの人々も,狩りや漁をしたり,木の実や草の芽をどって食べる生活でした。だから,集落は小さく,獲物が少なくなるとほかの地へうつらなければなリませんでした。また,身分の高い人低い人という区別もなかったと考えられます。  狩りの道具としては,右の写真のような矢じりをつけた弓矢が使われるようになりました。このように,生活の技術は進んでいきました。しかし,各地で出土する骨を調べてみると,成長が止まっているものもあり,食べ物のない日が続くこともあったようです。 ********  注)これまでの記事は〈タグ「わたしたちの村」〉で  注2)郷土副読本は,小学3,4年生に向けて「ふりがな・るび」がたくさん付いていますが,掲載にあたっては省いています。  注3)多くの写真や図版が載っていますが,すべてを紹介(掲載)していません。ご了承ください。
遺跡0603。