集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

GIGAスクール。おわりに (つくで百話最終篇)

花0419。 青空の広がる好天になりました。天気はよいが,冷たい風が強く吹き,寒さを感じました。午後になって暖かさを感じられそうな陽気になりました。  しばらく良い天候が続きそうです。  地区の小中学校の多くで,“最初の授業参観”や懇談などが開かれました。  新型コロナ禍の続く中,“新しい形”が模索され,さまざまな工夫があったようです。
○ 感染予防のため分散での授業参観となりました。タブレットを使って,計算練習をしたり,地図アプリから校区の様子を調べたりと,昨年度までとはちがった学習が見られました。今後もさまざまな場面でタブレットを活用していく予定です。 ○ 1年生は初めての授業参観ということで,授業が始まる前は大興奮! だけど,授業が始まってからは真剣そのもの。また,各学年でタブレット端末を使用している様子も見ていただけました。 ○ 授業参観に続くPTA総会は,密になることを避けるため,学級懇談会の会場にテレビを設置し,校長室とZoomでつないで行われました。
 学校の教育活動,子供の取り組み,感染予防など,保護者のみなさんの感想・評価は,どのようだったでしょう。  授業参観では,GIGAスクール構想による1人1台端末を利用した学習も参観できたようです。いかがだったでしょう。  学校・教職員のみなさんは,「子供が知を身につけていく」ことのできるに活用を進めています。
 Infomation is not knowledge. アインシュタインの言葉である。子供が,知を身につけていくことこそが教育の使命である。知り,分かることは,情報を目にすることとは異なる。子供が知を身につけていくために,1人1台端末をどう活用するか。  Global and Innovation Gateway For All(GIGA)の言葉通り,最大の変化が革新Innovation)となるように,これからの航海が後悔にならないように,教師が知恵を出し合う時である。
 教育活動を船の運航に準え「これからの航海後悔にならないように」と,新しさに惑わされず的確な取り組みを始めようとしているようです。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の最終です。 ********     おわりに  私の家は,父祖代々作手郷に根づいていました。私はここに生れ,ここで成人しました。小林部落の,山紫水明の環境と素朴な人情に育ぐくまれた私は,この土地をこよなく愛し,ここで生涯を終る生活設計に取り組んでいました。しかし,昭和初頭の経済恐慌の荒涛をもろにかぶった私は,故郷をすてて名古屋へ逃避しました。他郷へ出て作手を振り返ってみると,村に居た時には感じられなかった作手の良さが,強く私の内に蘇ってくるのを覚えました。  その頃,名古屋税務監督局長をしていた嶺田丘造氏は,岡崎市の出身ではありましたが,遠い先祖は作手の出でありました。たまたま,祖先墳墓の地を訪れた嶺田氏は,秀麗な作手の山河に心うたれるものがありました。また,当時の愛知県知事をしておられた山脇春樹氏は,行改視察の途次,作手高原の風光に深い魅力を覚えられました。  ゴルフ仲間の嶺田氏と山脇氏は,平素から親しい交渉を持っておられました。   「作手高原は素晴らしい所だ。」   「まるで,軽井沢のようだ。」   「そうだ,新軽井沢だ。」  二人のインテリの間で,期せずして「新軽井沢」と言う言葉が飛び出しました。それまで,作手二十六地獄などと言われて,なにかしら,コンプレックスを抱いていた作手人の心に,明るい希望の光が射し込んできたのも,この頃でした。  名古屋大学医学部教授,鯉沼茆吾先生は環境衛生の権威者でした。かって,信州蓼科高原の開発を提唱し,実現されたのは先生でした。先生の後継者と目されていた,同大学助教授佐宗武雄博士は作手村の出身でありました。鯉沼教授は,佐宗助教授ら十余名の学徒を引具して来村せられ,「作手高原の衛生学的研究」に取り組まれました。  鯉沼教授は,中高原地帯である作手の温和の環境を,衛生学的見地から高く評価せられ,第二の蓼科高原として開発することに意欲を燃しておられましたが,佐宗助教授の沖縄戦死と終戦の混乱で,その企図は空中分解をしてしまいました。  わが作手高原文化協会は,昔の作手郷の姿を探り,その民俗,伝承を保存する一助にもしたい念願のもとに,さきに「作手百話」「続つくで百話」を刊行しましたが,今回そのしめくくりとして「つくで百話最終篇」をまとめることにいたしましたところ,作手村内外の関係者諸彦の絶大なるご協力のもとに,当初企図していた資料を,すぺて蒐集することができました。また,幾多の新しい史実も発見したり,将に忘失されようとしている民俗,伝承も拾いあげることができ,更にまた,往古の人々が営んでいた。つつましくも,いじらしい労苦の跡も偲ぶことができましたことを深く感謝しております。  昭和五十年を迎えた日本は,大きな転換期に際会したと言われております。最近,わが国の先進的学者グループが「日本の自殺」と題する大論文を発表しました。それによると,ローマ帝国が,パンとサーカスによって人心が廃頽して,内部崩壊を招いた時と同じ様相が日本国を風靡していると指摘しています。誤った民主主義・ぶちこわし一辺倒の革新勢力・放縦懶惰・勤労意欲の喪失・ギャンブルの横行・祖国愛の消滅など,憂慮すべき風潮が充満していると述べておられます。  しかし,その反面,往古の日本の姿を掘りおこし,理想と調和を基調とした新しい日本を再現しようとする息吹きもうかがわれます。近年,考古学・民俗学に強い関心が持たれるようになったのも,そのためかと思われます。  わが作手村も日本国の変動に伴って,政治・経済・文化のそれぞれの部門で,大変貌を余儀なくされることは必至であります。来るべき時代には,過去のそれとは異った型の米福長者や炭焼長者が出現して,豊かな社会生活が営まれることにもなるでありましょう。或いはまた,みめうるわしく情操こまやかな浄瑠璃姫も生れて,うるおいのある人生も招来されるでありましよう。  私どもは,作手の旧い土壌から,新に芽生えた若木が,根を張り,枝を伸して,緑ゆたかな楽土を形成し,そして先覚者たちの夢が現実化することに大きな期待をかけております。  終りに臨み,設楽町の沢田久夫先生・鳳来町鈴木健一郎先生が,該博な御研突の一端を御寄稿下さったことと,西尾敏男先生・権田昭一郎先生・遠山義一先生らが,夫々の専門部門を平易に解説して下さいまして,錦上花を添えることのできましたことに,深甚の敬意を表する次第でございます。  私共が平素抱懐している作手郷への郷愁が結晶した,この「つくで百話」の一篇が,第二十一世紀の新しい舞台へ躍進する作手村のために,踏み台の一つともなり得るならば,これに過ぎる倖せはありません。    昭和五十年陽春吉日       作手高原文化協会同人  峯田通悛 ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で
GIGAスクール構想0419。