斎藤喜博氏の「言葉」から。(もしも校長だったら)
残念ながら「梅雨明けを思わせる青空…」とはなりませんでしたが,昨日までとは“空気”が変わりました。
雲が多かったですが,雨が降る心配をすることのない一日でした。
すでに日の入りは18時台となり,間もなく日の出も5時台ですが,やっと“暑い夏”がやってきそうです。
先日の“師匠 ハルヒト”の言葉
「夏を感じて過ごしたほうがいいでしょ。だって,今しか味わえないんだから」のように,今年の夏を味わって過ごしましょう。 今日通った道路の各所で「草刈り作業」が行われていました。 暑い中,大きく伸びた草を刈り,片づけていく大変な作業です。さらに,交通規制をしながらとはいえ,作業をする横を自動車が走って行きます。 昨日は豊橋市で悲しい事故(事件?)がありました。綺麗になった路肩を見ながら,作業員の方々に感謝し,安全に気をつけて通りました。 今年,当地の小学校,中学校は,今週末まで授業が続き,夏休みは8月に入ってからです。 暑い中,マスクやフェイスシールドを付け,3密を避けての授業が行われているようです。学校再開後の授業は,伝聞でしか承知しませんが,学校の新しい生活様式のもとで「これまでとは違う」ことが“普通”になっています。 今月初め,遠藤洋路熊本市教育長が,ブログで
休校中、オンライン授業をどんどん推進している間、ずっと手元に置いていた本はこの2冊です。斎藤喜博『授業』、林竹二『教えるということ』。と述べていたこともあり,改めて古い教育書を眺めました。
学校とか教師とかの仕事は,絶えず追究し創造し,新しい目標を子供達のなかにつくり出していかなければならない仕事である。 一つのものをつくり出したときには,次のより高いものを目ざして,追究をはじめ,新しい創造をしていかなければならないものである。それは,山にへばりつくようにして,大きな石を頂上まで石を押し上げていったときには,そこに新しく見えた高い山に向かって,また石を押し上げていくようなものである。 学校とか教師とかは,そういう仕事を休みなく続けていかなければならないものである。(齋藤喜博)夏休みを短くしてまで行っている“授業”は,「仕事」になっているでしょうか。 子供が“ものをつくり出して”いるでしょうか。 対面であれ,オンラインであれ,その“授業”が,
一時間の授業から次の一時間の授業へと,また一学期から二学期へと,さらに今年の一年間から次の一年間へと,新しい課題をつくり出してはそれを突破し,そこに生まれた新しい事実から,また次のより新しい事実へと追究し創造していかなければならないものである。 学校とか教師とかは,授業とか行事とかの中で,そういう創造を続けないかぎり,子供達の成長を助け,子供達の可能性を引き出すことなどできない。(齋藤喜博)というものでありたいのです。そのことを考え,検討する時間をもつことができたでしょうか。
そういう仕事は,厳しいことであり苦しいことではあるが,楽しいことでもある。そこには創造する喜びがあり,追究者・創造者としてのかけがえのない体験をすることもできるからである。 また,課題を突破した結果生まれた子供達の新鮮な姿に触れる喜びがあり,それによって自分を新鮮にしたり,またそこから,教育なり子供なり人間なりを豊かに学びとることができるからである。 教師の仕事には,そういう喜びがある。また,教師がそういう喜びを持ち,子供から学ぶことができるようになったとき,教育の仕事は成立したと云えるのであり,子供の成長を助けることができたとも云えるのである。(齋藤喜博)当時も,“教師としての本質的な仕事”に専念できているかを心配してみえたようですが,学校の新しい生活様式のもとで,改めて「教師としての本質的な仕事」を見つめ,その実現・実行ができる学校,教師の生活を創っていきたいと思います。 先生,夏休みにはゆっくり考え,○○を創り出す時間がありますか。 【関連】 ◇斎藤喜博と林竹二(教育長ブログ) ◇熊本市教育委員会のYouTubeチャンネル ※明日(7月30日14:00〜)の教育委員会会議は,ライブ配信が予定されています。 議事資料は,こちらで公開が予定されています。