SNSから「桜は来年も見ることができます。生きていれば。」
昨夜の雨は上がりましたが,曇りで時々雨の落ちる日でした。
各地で外出自粛の呼びかけがされています。修理品の受け取りがあり出かけましたが,それなりに人の姿がありました。みなさんは,どのように過ごしましたか。
家に戻ってメールなどチェックすると,SNSに国外に住む家族や知人からのメッセージを紹介している方がいました。
田舎で暮らしていると,「まだ大丈夫。」「多分大丈夫。」と危機感や切実感が薄い気がします。メッセージを読んで,“何となく楽観視している部分”はすぐに捨て去らなくてはと思いました。
このブログをお読みいただけている方も,引用が長くなっていますが,ご一読を。
まず,外国で学ぶ娘さんのメッセージから。
(略) 今学期私はアルゼンチンで留学生活を送る予定でした。新型コロナウイルスの影響で、今はボストン郊外にある友人宅で静かな生活を送っています。南米でアジア人であることで差別され、何度か怖い体験をしました。アメリカへのフライトがなくなる直前に南米での勉強を断念し、急遽アメリカに戻りました。 ??? ソーシャルメディアやニュースを見ていて、あまりにも日本人の危機感がなさ過ぎると感じるので、ここに少し、私の考えを書かせていただきます。 このコロナウイルスは感染していても症状が出ない場合がある。ウイルスによって死亡率が高いのはお年寄りと持病のある人たち。この事実はニュースを見ていれば、ほとんどの日本人が知っているはずです。 しかし私のタイムラインに出てくるのは、クラブ、お花見、誕生日パーティー、居酒屋、カラオケでいつものように遊んでいる若者たちの様子です。この状況の中、旅行に出かけている人も目立ちました。コロナのことをジョークのように扱っている投稿もありました。 日本にいると、きっと大丈夫だろう。みんな外に出ているし。 そういう風に思うのかもしれません。集団心理、ある意味日本人的なのでしょうか。 ?? 「自分はかかっても死なないから」 この恐ろしく自分勝手で、現実を把握できてない考えが、今のイタリアやアメリカのロックダウン、高死亡率などに繋がったのでしょう。 今苦しんでいる高齢者の世代は、戦争を体験した世代です。国のために、多くの若者たちが命を捧げました。毎日、空襲の恐怖に怯えながら暮らしていました。食べ物もなく、ひもじい生活の中で助け合いながら生きてきた世代の人たちです。そして、今、私たちが享受している日本の豊かさを築いたのも、高齢の世代の人たちです。 今私たち若者に課せられていることは「必要以上に家から出ないこと」です。「家でくつろいでいて」と言われてるだけです。 テクノロジーと文化の発展で、日本には家にいても楽しむことができるツールがたくさんあります。本を読む、楽器を弾く、映画を見る、ゲームをする、新しい言語を学んでみる、絵を描く。なんでもいいです。非常事態だからこそ、クリエイティブになれるかもしれません。お家の中で楽しむ方法を見つけて、2−3週間クラブや居酒屋に行くのを我慢してください。 アメリカの大学は約2週間前ほどからオンライン式に変わり、卒業式も全てキャンセルになりました。私も大学一年生の時から楽しみにしていた南米留学が3週間で終わってしまい、心にぽっかり穴が空いたような気分です。 でも、他の人の命を家にいるだけで救えるなら、喜んで家でおとなしくしています。間接的でも絶対に人を殺したくないからです。五体満足で持病のない社会的に有利な立場にあるからこそ、責任を感じます。お年寄り、持病のある人、障害者、妊婦さん。すべての命は平等です。 (略) ?? 少しの我慢で多くの命が救えます。またいつものような生活が送れるように、頑張りましょう。いかがですか。家でくつろぎましょうよ。 若者に“考えること”をSNSで呼びかけている記事から。
私が書いたことを若い人が読んでいるとは思えないのだけれど、一応、世界発信という気持ちで書きます。 もっと考えようか。半径10メートルのことだけでなく。 今、世界がどうなっているのかを、よく見てください。いま、人類がどのような局面を迎えているか、考えて。 ニューヨークは閉鎖状態。世界中の人たちが集まり、芸術があり、エンタテイメントがあり、世界の金融の中心であるニューヨークの街に、いま人は歩いていません。病床が足りない、人工呼吸器が足りないと、市長が記者会見で憤って叫んでいる。これは、映画じゃないのよ。 (略) 桜がきれいに咲き始めました。お店など出ていなくても目黒川は大にぎわい。上野公園も大にぎわい。 卒業式が縮小されても、打ち上げパーティーは大にぎわい。 「なんか、実感ないよねー」と、袴姿の「さっきまで女子大生」が二人、インタビューに答えていました。幼稚園からやり直してくれる? 桜は来年も見ることができます。 生きていれば。 「自分さえよければいい」 「自分が楽しければそれでいい」 自分たちの行動を言葉に置き換えると、どうなるか考えてみてください。 楽しいのはいいけれど、重篤になりやすい高齢の人たちのこと、自分たちよりも弱い人たちがいること、困難の中にある人たちがいること、想像力を働かせてください。 いま、世界について考えるチャンスです。人類がこれからどうあればいいのか、変えていくチャンスでもある。それを引き継いでいくのは自分たちの世代であるということ。 世界をよりよくしようと頑張っている若い世代の人たちもたくさんいる。心から尊敬します。大変な世界を引き継ぐことになることを申し訳ないと思う。せめて、私にできること、心に残るような一言くらいは残していきたいと思っています。 できるだけ、自分の身を守る。それは、人類を守ることでもある。そのくらいのスケールの大きい想像力を働かせてね。 ということで、ここしばらくは家で、こんな時だからこそできる創造的なことをしてください。 中高年の皆様も。中高年、動きすぎ。桜が綺麗に咲いています。楽しく花見をしたくなるかもしれません。でも,今は…。 切実感と危機感をもって読みました。 「桜は来年も見ることができます。生きていれば。」