集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「空沢の大熊」(つくで百話)

花0927。 天気の良い日,少し動くと「暑い」と感じましたが,秋の風が気持ちよくさせてくれ,過ごしやすい一日でした。  夕方,お会いした方々から,これからの“教育”や“教えること”についてお話をうかがいました。  「そうか…。」「なるほど…。」「楽しそう…。」  学ぶ機会が得られるお話しでした。ありがとうございました。  見晴らしのよい建物でした。「御嶽山が見えるんです。噴火した時も…。」と窓の外を…。  “戦後最悪の火山災害”となった噴火から5年の日に,その話題に出合えたことは“必然”だったかも…。  『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「怪奇物語」から紹介です。 ********     空沢の大熊  大和田の村はずれにある空沢山には,数十メートルの断崖絶壁が,、いくつも聳えたっております。その大きな岩石の一か所に岩の穴があって熊が棲んでおりました。岩石と岩石の間に巾一メートルくらいの切れ目があり,上り勾配に奥の方へつづいております。薄気味が悪い岩穴ですから,奥深くはいってくらべたものはありませんでしたが,ずっと奥の方には相当広い空間もあり,空気抜きの窓のようなものもありました。  この岩穴に,夫婦の大熊が棲みついておりました。ある時熊退治を計画した村の人たちは,穴の入口に,回りが三十センチ以上もある太い丸太で柵をくんで熊が穴から外へとび出すことができないように頑丈にかためてから,穴の外に,生木の枝をあつめて火をつけました。生の木が燃え始めると,もうもうと煙が立ちのぼり,ちょうど煙突のような格好になっている熊の穴に吸いこまれ流れて行きました。  煙攻めになった熊は,穴の入口近くまででてきましたがなかなか外へ出てきません。地面に這いつくばって,煙にまかれないような態勢で我慢しております。熊が持久戦にはいりましたので,攻め手の方でも戦法をかえて,木の枝を穴の中に投げ入れることにしました。持久戦法をつづけて木の枝や薪を投げ入れますと怒り立った熊は,つぎつぎにこの木の枝を奥の方へたぐりこみました。村人の方では,多勢のものが,次から次へと木の枝を集めては穴の中へ投げ入れました。穴の中は,だんだん木の枝で埋まりましたので,熊は,居場所がなくなって入口近くまで出てまいりました。そのころ合いをみて,攻手の猟師が鉄砲で,ねらい撃ちをして大熊を仕止めました。この大熊夫婦が退治されてから,空沢山には熊の姿をみなくなりました。それは明治の初めのころだったときいております。 ******** 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【関連】   ◇信州木曽御嶽山 御岳ロープウェイホームページ