集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「荒原の明神池」(つくで百話)

花0824。 天気のよい日でした。  晴れて“暑い”のですが,当地では,その暑さも“秋の陽気”に変わってきています。気持ちの良い風が吹いていました。  今日の初物アスパラガスでした。  軟らかく細いアスパラに大地の力をいただきました。  美味しゅうございました。   八村塁選手が注目されているバスケット日本代表の情報を,「日本バスケットボール協会(JBA)」(Twitter)が伝えています。  今日の試合は,FIBAランク48位の日本が22位のドイツに 86-83 で勝利しました。おめでとうございます。  明日は,チュニジア戦です。  『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「川に因んだ話」から紹介です。 ********     荒原の明神池  本荒原の南端に池があって,そのそばに塚があり,昔荒原長者の住んでいた頃酒糠を捨てた塚といわれております。今は樹木が茂り白鳥神社がまつってあります。昔は囲りは百メートルくらいの塚で,池も大きかったそうです。現在地名を池田といっていますが,池を埋めて田としたものでしょう。池田の南端に一アール位の池があり,これを明神池といい伝えています。昔の明神池はたいそう深く,南は一鍬田(新城市)のカイクラ淵に通じ,東は滝川村(旧長篠村)の大滝に通じており,竜蛇は常に三ケ所を往来して住んでいたといわれました。晴天続きで水の無いとき雨乞いをすれば必ず降り,雁峯山下三十一か村の祈雨願所となっていて,明治十五年頃までは祈願したと古老はいっております。  八名郡塩沢村の(現新城市)猿屋六郎衛門という人が布里村の七久保を通って道端に休んでいると,どこからか一匹の小さい蛇がでてきて,猿をたべようとしたので,猿屋が怒って持っていた小刀で小蛇の頭をつきました。すると小蛇は忽ち大蛇となって,傷口から血を流しながら大滝の方ヘ逃げて行きました。その後明神池には竜蛇がいなくなったそうです。それから猿屋の家は次第に貧しくなり絶家しました。また白鳥神社内に蛇骨の面があって(今はない)明神池に祈雨しても雨が降らないときは,蛇骨の面を池の水で洗えば必ず雨が降るといわれ,一度ためしたところ大雨が降って,村に大山崩れがでる程の大水となり,里人は明神様の怒りだろうといって大変恐怖したといわれています。  昔,荒原長者に可愛いい一人娘があり真国村(旧東郷村)の寺へ通わせて,いろいろ学ばせていました。その行き帰りに雁峯山の頂上の岩の上で稚子舞の稽古をしたといわれています。今でもこの岩をちご岩と呼んでいます。或る時,この娘が家出をして行方不明になりました。長者は百方手をつくして探しましたが,どうしても見当りません。落胆した長者は精神に異状をおこし,家宝の金の茶釜を頭にかぶり,明神池に投身しました。それから,暫くの後,金の茶釜は一鍬田のカイクラ淵に浮びましたが,これで長者の家は亡びてしまいました。池田のタニシを拾ってまつるとおこりが治ると云われていますが,常には拾いません。 (作手村誌) ******** 【「つくでの昔ばなし」掲載】   ◇「荒原(あわら)の明神池(みょうじんいけ)」 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で