「川尻の庚申さま」(つくで百話)。「子供と親と。」
今日も“夏の日”でしたが,薄く雲のかかった空でした。
曇っていたけど暑い一日でした。
『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「文化財と信心」から紹介です。
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川尻の庚申さま
川尻の本郷にある観音堂の境内には,多くの石碑が並んでいますが,その一番北側に,高さ六〇センチ,幅二〇センチくらいの庚申さまの石像が建っております。この近所の人で,貴重品や農具などが盗まれたり,紛失したりすると,お庚申さまを荒繩でしばり「私のとられた品物を返して下さると繩をといてあげます。」とお願いすると,紛失した品物は,必ずかえってくるといわれております。今でも,このお願をかける人が沢山いるときいております。 (阿部安孝)
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先日,SNSに,次のような親子のようすがありました。
あなたも見かけたことはありませんか。
ひょっとして,あなたに似ていませんか。
あなたができることはありますか。
あなたにできるのは…。
ある日のスーパーで見かけたその女性は,2人の小さな兄弟を連れて,表情は終始強張り,子どもたちと会話をすることなく買い物をしていました。 ふらふらとお母さんについて行く兄弟もなんとなく表情も乏しく,私はなんとなく気になって様子を伺っていました。 レジを過ぎると,ふらふらとしていた兄をお母さんが一喝し,パシッと頭を叩きました。痛かったのでしょう,お兄ちゃんは何度も自分の頭を撫でながらしばらく母親を見ていました。 そしてしくしくと泣き出しました。 母親はそれを見て, 「誰が悪いの?!」 と冷ややかに言うと,スーパーの袋を手に取り,下の子の手を引いて黙々と歩き出しました。 その後を泣きながらついて行く男の子の背中を見て私は辛くてたまりませんでした。 男の子が可哀想で仕方なかったのだけど,同時に, 「お母さんもつらいだろうな。」 そう思えたのです。きっと毎日ゆとりなく,笑顔になる気力もなく,2人の幼子を連れ必死でやっているのでは。 丁度その数日前に同じスーパーで同じように幼い2人の子どもを連れた母親を見かけていました。 でもそのお母さんは先程のお母さんとは全然違っていました。 上の子と楽しそうに買う物を選びながら終始穏やかな表情で,そして帰りにはスーパーにある花屋に寄り,テーブルに飾るくらいの花を数本選んでいました。 この2人の母親の違いは何でしょうか。 前者は悪い母親で後者はいい母親,それだけでしょうか。 それだけでは済ませない社会的背景,家庭環境,いろいろなことが思われてなりません。 冷ややかな目でわが子に「誰が悪いの」と言い放ったあのお母さんだって,食卓に飾るお花を選ぶくらいのゆとりがあれば…… 子育て期は永遠に続くものではなく,そして子供だったわが子もあっという間に大人になり,自分から巣立つ時がくるのだということを感じながら,どうぞわが子との一瞬,一瞬を大切にできますように。 そのためには…。 (※引用。ありがとうございます。)