集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「川手のお薬師様」(つくで百話)

花0708。 時々雨の降る“梅雨の一日”でした。  午前中,参議院選挙に関わった協力依頼の電話が入りました。  「○○」は大事なことですが,「○○を推進して…」と依頼されると,「そうかなあ…」と素直になれない自分がいます。  その上で,依頼してきた方の“状況”も分かるので,気づくと「お手伝いします。では○日に…」と答えていました。  あれっ??  『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「文化財と信心」から紹介です。 ********     川手のお薬師様  昭和初頭の頃,川手の笹野善広さん(現戸主守人氏)が次ぎつぎに,いろいろな病気にかかられ,家庭的にも不運がつづいたので,易者にみてもらうと,家から程近い西の方角の山林に,お薬師様が埋れていて,そのたたりだから,お薬師様を探し出しておまつりするようにと教えられました。  教えられた方角にある夏目栄吉さんの山を探すと落葉や崩れ土に半ば埋れたお薬師様と五輪様をみつけました。このお薬師様は,江戸時代には立派なお堂もあり,首から上の病気によく霊験があるといわれ,眼病など一度お詣りしただけで治った例もあったときいております。善広さんは,広く知人によびかけて,喜捨を仰ぎ,小じんまりした木造のお祠を建立しておまつりすることにしました。  このお地蔵様も霊験あらたかで,善広さんも間もなく健康をとり戻し,安穏な晩年をおくられました。近隣の人たちの信仰も篤く,多勢の人が参詣しておりましたが,善広さんの没後は,太平洋戦争が鮮烈となると共に,お祠の手入れをするものもなく,荒廃にまかされておりました。  先年,何者かが,このお薬師様を持らさり,しばらく行方不明になっておりましたが,この頃,また戻って来られました。近くお祠を再建して,お薬師様の祭祀を復活しようという議が有志の間に持ちあがっております。 ******** 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で