集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「お正月」(つくで百話)

百合0605。 予報は「晴れてくる…」と伝えていましたが,なかなか雲が切れませんでした。夕方になって日差しが出てきました。  多少の蒸し暑さはありましたが,まだ暑くはありませんでした。  午前中,先日から相談してきたことについて,学校運営協議会長,小学校長,共育コーディネーターと,それぞれ相談と確認をしました。  今後に活きる情報が得られそうです。  共育コーディネーターが,今後の取り組みを進めていただけます。ありがとうございます。  関係のみなさま,よろしくお願いします。  『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「昔の行事」から紹介です。 ********     お正月  お正月は旧暦で行なわれました。正月を迎へるために,その二,三日前になると山へ行って門松をきりました。家の表にたてる門松は二メートル以上の男松女松の二本でしたが,この外に地の神,墓,井戸,竈,台所,土蔵,便所,神棚,仏壇にも小さい門松をたてたり,飾りつけたりしました。門松には,「おつぽ」というものをつけました。これは,新藁を二つ折にして編んで漏斗形につくったもので,この中に正月になるとお雑煮などを入れておまつりしました。  奥座敷の天井から長さ二メートルくらいの細い角材がつるされており,この角材は自由に回わすことができるようになっていて,その年の「明き」の方角を指向するようにしてありました。そして,明きの方角に向って歳徳神と書いた半紙をつるしました。床の間には鏡餅を丸盆にのせて飾りました。それには,ゆづり葉や裏白も添えてありました。  年取りの晩には,恵比寿,大黒様には,小判や天保銭,穴あき銭など,いろいろの通貨が供えられました。明治以后は,銀貨,銅貨や紙弊なども供える風習がありました。  仏様や神様の前には,小さい供え餅や串柿,栗,密柑などとともに,年取りのご馳走も供えました。昔のご馳走は,大根,にんじん,ごぼう,こんにゃく,油揚昆布等の煮つけでした。肉類は用いませんでしたが,塩漬の蛙,鰊,鯖,鰯などは膳にのりました。数の子は,今よりもズット豊富で,大きな摺鉢や陶器の瓶に一杯用意したものでした。この外に大根でつくった酢あえも正月料理のつきものでした。こんな程度のご馳走でも,山の中では珍らしいもので,お椀に山盛りにしたご飯をたらふく食べ,おとなたちは,どぶろくをあおって陶然とした気分になり,「いい年とりがで きた」と喜んだものでした。  年取りの夜は,囲炉裡の火を絶やすものではないといわれて,大きな榾木を囲炉裡にくべて夜明けまでも,ワイワイ語りつづけたこともありました。  元旦になりますと主人が井戸へ行って若水を汲みあげることから正月の行事が始まります。元日には,お雑煮です。お雑煮は,まづお椀の底に里芋を一つ入れ,その上に餅を二つくらい,みず菜,半べん,油揚などをもり,汁をかけます。そして最後に鰹節をふりかけて蓋をするのが正式のお雑煮でした。ご飯をたべたいものは,昨夜,年とりに炊いた冷飯をいただく習慣でした。  ご飯を炊くのも,風呂を沸すのも二日からでした。二日の朝は,ご飯の炊き初めで,この日には山の芋でとろろを作っていただきました。二日,三日と雑煮やらご馳走をいただいて,正月気分にひたりました。  大和田では,元日には,白鳥神社へ初詣りをいたしますが,慶雲寺へは二日に年頭に上がりました。お寺へは,白米一升と何がしかのお金を包んでまいりました。  正月三日間は,仕事を休んで遊びますが,二日の日に明きの方角の山へ行って,小いさい木を伐って仕事始めとする風習もありました。  七日は七日正月といって,七草のかゆをつくって神仏をまつりました。七草粥は野生していたナヅナの外にいろいろの野菜や餅を小さくきったのを入れてつくりました。水洗いしたナズナをまな板の上にのせたのを神前に供え,ほうちょうできりながら「唐土の鳥が日本の国へ渡らぬ先に七草なづなでホットホット」とくりかえしとなえました。  十一日はクチアケといって田圃へ行って恵方に向って三鍬土をほり起こしました。この日に供え餅でお汁粉をつくってたべました。  つぎは,モチイ正月でした。十一日に山へ行ってナラの木を伐っでおにゆう木をつくります。おにゆう木は直経一〇センチ以上の木を長さ一メートルくらいにきり,これを二つ割にしました。家の中の神,仏,かまど,井戸などに供えるおにゆう木は長さ二〇センチくらいの小さいものでした。おにうぎには平年は十二月,閏年には十三月と書きました。これを書く墨は,茄子の莖を焼いて炭をつくり,すり鉢ですりつぶして,少量の水を加えました。また筆は山藤の適当のものをとって,その一端をたたいて軟くしたものでした。十四日になるとモチイの年とりをしました。この日も餅をつき,米の粉で団子をつくって神仏をまつりました。米の粉をかためて繭,棉の花,立臼,ふくら雀,粟穂,稲穂の型をつくって梅の枝にさして,神棚や台所にまつることもしました。十七日朝にはこれでお汁粉をつくっていただきました。  二十日は二十日正月と云って最後の正月を祝いました。  昔の正月は,いろいろの正月休みがつづいて,仕事をする日はごく僅かでした。その間に,親類縁者を回って年頭挨拶をしましたが行く先々でお雑煮のご馳走攻めに会いました。 ********  話に出てくる「明きの方(あきのかた)」は,初めて聞きました。これは,「恵方」のことです。  また,正月に「若水を汲みあげ」ることから,新しい年(正月)が始まっていきます。  水道をひねれば水が出る,ミネラルウォーターがある…というのは便利なことですが,“豊かさ”とは遠い気がします。  若水が汲める環境,それを大切にする思い…,子供達に伝えたい“こと”であると思います。 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で