集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「泥海の怪」(つくで百話)

花0523。 今日も,天気の良い日でした。  久しぶりに出かけた先は,平日ですが賑やかでした。  「まち・街・繁華街…」と「むら・里・田舎…」の違いと,そこへの“仕かけ”について考えさせられました。  今,○○を仕かけたら…。  『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)から「村の起原と人物」から紹介です。 ********     泥海の怪  子供の頃,祖母から聞かされた話です。 「大昔この辺一帯(鴨ヶ谷,市場,長者平,川尻など)が恐しい泥海になってしまったので家も田畑もみんな水の底に沈んでしまい,人々も泥海に呑まれて亡びたそうだ。而し舟を持っていた人だけが舟着山へ漕ぎ着けて生き残ったと云うことだが,またそんな恐ろしい世がくるかも知れん」といって戒めてくれました。その舟着山というのは今の大字鴨ヶ谷字神手地内でツガノ方面の耕地(田)へ向って半嶋のように出帳っている小高い山林なのです。  私達の郷は,お隣の鳳来寺火山や設楽第三紀層という地盤が,まだ海中から頭を出さない以前に,すでに陸地に隆起しましたが陸地の一部には水を湛へて湖沼となっていた時代がありました。  これ等の湖沼地は前に生い茂っていた植物を水底に沈め,其の上に長く泥などの堆積が続けられたと考えられます。  若しその頃,人間が生きていたら荒涼たる静寂な泥と水の世界を見たことでありましょう。  血の温かい哺乳類が地球に現れたのは第三紀の末であると云われておりますが,更に幾百万年も経って人類がこの世に現れ,地球が温和な気候になるにつれて終に地球を人類繁栄の場としてしまったのです。  私達の郷も,嘗ての湖沼から水が引いて乾いた所は台地となり,軟かい湖底は湿原となり,人類の営みと共に耕地も拓けて現況の地形が出来上りました。  而しその成り立ちが凡そ湖沼地であったような私達の郷土が其後も度々大規模な異変に見舞はれたことは想像に難くありません。私が祖母から聞かされた話も,恐らく昔々から伝った天災地変洪水の巻の一節であったかと思はれるのです。(鈴木太富) ******** 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で