「セカンドハウス第一号 磯丸庵」(つくで百話)
空は雲が厚く,いつ雨が降り出してもおかしくない天気でした。ここ数日強い風が続いており,今日も強風が吹きました。雨と合わさって“嵐”にならないことを願います。
明日の天気は…。
『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)から「村の起原と人物」から紹介です。(長文です)
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セカンドハウス第一号 磯丸庵
前にも述べましたように作手高原は,凡そ海抜五五〇メートルくらいの中高原地帯であります。中高原地帯の気候は極めて温和で,高原地帯のようなきびしさもなく格好の保健地であります。名古屋大学名誉教授 鯉沼苑吾先生は戦前,名大の助教授,助手,学生などを引具して作手村へ出張して,作手高原の衛生学的調査研究をせられました。そして,中高原地帯の代表的保健地帯として,推奨されたことがありました。最近公害問題がやかましくなりますと作手高原が住宅地帯として大きくクローズアッフされましたのも故ある哉と思われます。
さて話はかわりますが,この作手高原に着目してセカンドハウス第一号をもったのは,歌聖糟谷磯丸であったろうと思われます。磯丸は明和元年九月三日,渥美郡伊良湖岬村の貧しい漁師の子として生まれました。家が貧乏でしたから,近所の子供のように寺小屋へ行って和尚さんに教えて貰うことはできませんでした。そこで,年上の子供などにすがって,いろはから習いましたが,筆や紙はないから砂浜に指で字を書いて勉強しました。
磯丸は勉強熱心でしたから,どんどん進歩して聞もなく教えてくれる子供がなくなりました。それからは,村の長老や,和尚に頼んで,いろいろ教えて貰いました。萬葉仮名や漢字も沢山覚えました。また,楷,行,草三体の文宇もすらすらと書けるようになりました。四十才を超えてから和歌をはじめましたが豊かな天分に恵まれていた磯丸は,めきめきと上達しました。歌人磯丸の名声は忽ち国中にひろがり,京都までもきこえました。京都の御所に勤めていた芝山大納言の招きで京都へ上った磯九は天皇に拝謁して,自作の和歌を御披露する光栄に浴しました。
各地を行脚して和歌を詠んでいた磯丸は,天保十年,彼が七十六才の時に,始めて作手郷へやってきました。その時,川尻村に,その附近十一ヶ村の名主をつとめていた阿部文吉(阿部安孝氏の先祖)がおりました。ここで草鞋をぬいだ磯九は,作手郷の美しい景色と清涼の大気,醇朴な人情などに,すっかり惚れこんでしまいました。磯丸がしばらく滞在していると,近所の人々が,米,麦や野菜などを持ってきて呉れました。磯九は,そのお礼に和歌を作って与えるなどしている中に磯丸と村人はかたく結ばれました。
村の人たちは,磯丸のために御堂前の弘法堂を補修して提供することになりました。草葺の,この小庵は,いつのまにか磯丸庵とよばれるようになりました。磯丸は,ここを本拠として,村内をあちこち行脚して,村人から請れるままに,神祇をまつる歌,家内安全の歌,病の治る歌,火災,盗難除の歌,虫の治る歌などを書いてはわたしました。昭和九年に磯丸遺作展を作手農林学校で催しましたとき百四十一点,百四十二作の出品がありました。この外にも作手村には,沢山の遺作が存在するように思われます。
川尻の本郷にある観音堂に,磯丸の歌の扁額が奉納されてあります。
奉納 七十六才 貞良磯丸
川しりの里の清水のすむからに
大悲床慈のかげや守らん
おろかなる心の屋みにまよう身を
照らせみのりの山の端の月
ともえ川ながれくみてもあおげただ
大悲大慈のふかきめぐみを
天保十年六月二十六日
願主 広 吉
磯丸は,春から秋までは作手におり,寒くなると伊良湖の本宅へ帰りました。磯丸庵は,彼のセカンドハウスでありました。村内に八十一才のときに詠んだ歌がありますから五年以上,彼が作手にいたことは間違いありません。
□火除 (阿部安孝氏所蔵)
雨あられ雪やこおりもかきつめて火ぶせにひせぶ水くきのあと 八十翁 磯丸
□家内安全 (阿部安孝氏所蔵)
むつまじく君もろともに住吉のまちにちぎりて千代に栄ゆる 八十翁 磯丸
□手ならふ人によみてつかわす (阿部一三夫氏所蔵)
ふみみつつ空とぶとりのあととめてゆかば雲井に名をもあげまし 八十翁 磯丸
□小児麦めしきらふを治す (阿部一三夫氏所蔵)
米もすきくわもてつくる麦なればくわぬはおろかすきになれなれ 八十翁貞良 磯丸
□神祇 (阿部重太郎氏所蔵)
わが神の玉垣みがけば世の神もやおよろず神や守らむ 八十翁 磯丸
□石堂ヶ根戦死者を弔ふ
おくだいらたけだのけらいうちとりし半夏至のよるは今も太刀音 磯丸
□みそぎ川
神かけてそそぎながさむみそぎ川つみもたたりもなみのまにまに 磯丸
□病の治る歌 (荻野三郎氏所蔵)
すませただ心し清くすみぬればやまひは水のあわと消えまし 八十翁 磯丸
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【情報】
◇宇連ダム − ダム流況表(水資源機構中部支社)