集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

説明へ。「俵 孫一 出生の秘話」(つくで百話)

花0509。 もっと暖かくなると思っていたのに,当地は“肌寒い日”でした。明日からに期待。  朝,先月相談のあった「ピンクペイント運動〜PINK PAINT〜」について,市内小中学校の校長先生に説明とお願いをする場に向いました。  準備した資料を配付し,与えられた時間で,代表が分かりやすく説明をしました。校長先生方は,うなづきながら聞いてくださっていました。  保護者の方々が「乳がん検診を受けよう」と思っていただけるような啓発・活動が広がってくれることを願っています。  よろしくお願いします。  『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)から「村の起原と人物」から紹介です。 ********     俵 孫一 出生の秘話  幕末のころ大和田一の分限者は嶋伊吉さんでした。広い屋敷の中には本宅の外に,いくつもの建物が建てられており,白壁の土蔵も三本並んでおりました。周囲は,高い石垣で囲まれ,正門は総欅づくりで,朝晩,仝家の男衆が,この門を開け閉ぢする時には,「ギィー」という音が村中にひびき渡ったときいております。  伊吉さんのお嫁さんとして,一宮村柿の木の足木という家の娘さんが輿入れされました。綺麗な若嫁さんは,いつも袿を着て,薄化粧をしている立派な奥様でしたが,伊吉さんは,生まれつきの道楽者で,東海道赤坂宿の女郎に,うつつを抜かして通いつづけておりました。柿の木の足木家では,「大切な娘をくれてやったのに,女郎買いに溺れるような奴は見込みがないから娘を引きとる。」と云ってつれかへりました。  その時,娘さんは,懐妊しておりましたので,両親はハタと当惑しましたが,豊川の三明寺の弁天様は,懐妊中絶の名手として知られていましたので,母親が娘さんをつれて,弁天様へでかけました。弁天様へ着くと,娘さんが,「お腹の子をおろすのは嫌だ。」と駄々をこね出したから,母親は困ってしまいました。そこで母子二人は弁天様の本堂の縁側に腰をおろして,母親が,泣きじゃくる娘をなだめているところへ一人の武士が参詣にまいりました。様子あり気な母子の傍らへ寄りついて,事情を聞きましたが,  「わしは子宝に恵まれないから,今日この三明寺様へ祈願に立寄ったわけである。これも神仏のお引き合わせであろう。娘さんのお腹の子が生まれたらわしに貰えないだろうか。わしは西国の士で俵孫太郎というものだ。きょうは江戸へ行く途中であるが,子供が生まれたら,貰いにくるから頼む。」といって別れました。  それから間もなく,娘さんは,玉のような男子を分娩しました。子供が生まれて一年ばかり経ったときに,先年話をした武士が足木家を訪れました。健康そうな男の子をみて,殊の外喜び「この子はわしの長男として籍を入れ俵孫一と名づける。」といって,つれて行きました。  俵孫太郎さんからは,その後時々便りがあって,孫一の成人を足木家に知らしてまいりました。それから二十年あまり経った時に,孫一が東京帝国大学を卒業した旨の通知があったのを最後に,通信はふっつり杜絶えてしまいました。孫太郎さんがなくなられたためでしょうか。  昭和初頭の政界に,民政党の両袖として活躍し商工大臣などをつとめた俵孫一氏が,鳴伊吉の一粒種であったかあるいは同姓同名の別人であったかは知るよしもないまま今日に至りました。 ********  最初に「大和田一の分限者」との言葉が出てきますが,知らない表現でした。  文脈からは,名家や庄屋を指しているようですが,分限から思い浮かぶのは“分限処分”で,関わりたくない事柄です。  調べると,
ぶんげん‐しゃ【分限者】   名? 金持。物持。長者。富豪。ぶげんしゃ。
とあります。なるほど。  言葉を覚えましたが,使うことはなさそうです。 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【関連】   ◇相談。訪問。(2019/04/24 集団「Emication」)   ◇全国ピンクペイント運動ネットワーク