「昔の生活と今の生活」《生活の移り変わり 11》
天気のよい日でしたが,“寒の内”の寒さで気温が上がりませんでした。
この時期によく使う表現ですが,“冷蔵庫の中の方が暖かい”日(気温)でした。
みなさん,暖かくして過ごしていますか。
今日,当地の小・中学校は,三学期の始業式でした。
《作手中学校HPより》 3年生の教室前面黒板には生徒が描いたイノシシが並びました。卒業、そして高校受験を控え、3年生にとっては本当に短い中学校生活となります。一日一日を大事にし、「猪突猛進」の勢いで夢に向かって突き進んで欲しいです。 始業式では、各学年の代表者の発表がありました。自分のよさを見つけ伸ばしていきたい、部活動で何としてもAチームに入りたい、最後の学年対抗戦である百人一首大会で勝利をおさめたい、といった力強い言葉が聞かれました。 そして、新学期初日は書初め会で締めくくられました。墨をたっぷり含んだ筆を上下に動かしながら、一文字ずつ集中して書き上げる生徒の姿が見られました。◇新城市立学校「最新の更新」 新しい年,子供達それぞれが,“目標の実現”に向けて力一杯に取り組んでいくことでしょう。 それを,家庭や地域が見守り,支援して,共に成長していきたいものです。 文集「こうやまき」からの紹介は2/3ほどを終え,終盤になってきました。 昨年に引き続き,「生活の移り変わり」の一話です。 ******** 『昔の生活と今の生活』 (文・協和小5年 男子) 今のぼくたちの生活を思いながら,はじめに,自動車のことについて聞いてみました。 おとうさんの小学校五年生頃には,守義には一台も自動車はなく,また,作手の内にも片手で数えるぐらいしかなかったそうです。それに道路もできておらず,今の県道は,菅沼までしかできていませんでした。田口の方へ行く道も,三都橋までしかできていなかったそうです。 おとうさんたちは,名古屋に博らん会があり,五・六年いっしょに修学旅行としていくことになりました。四月のはじめで,伊勢と名古屋に行ったそうです。 その時,おとうさん,または,おかあさんに菅沼まで送ってもらい,バスなどは当時こなかったので,菅沼からは,トラックにゴザやムシロをしいてすわり,新城まで行き,新城から電車にのって行ったそうですが,今のトラックは,八トン車とか,十トン車とかいって,大きなのがあるが,その頃は,大きいので,四トンぐらいだったそうです。 「名古屋へついたとき,今の十円ぐらいのキャラメル一箱をもらい,大変うまかったことを今でも忘れない。」 といっていました。 お客にいくにも,今のように道もできておらず,暗い山道や野原の細い道を,テクテクあるいて,やっと昼頃ついたとこや,弁当をもっていき,野原や日かげで汗をふきながらにぎりめしを食べていったそうです。それもたまのお客だったからとても楽しかったようです。 それにくらべると,今ではお客にいくにも,すぐ自動車を使うようになり,守義の部落でも,三十台以上あるように思います。 なぜ,こんなに自動車が多くなっても,バスは,どうして通学が楽のようにはいってくれないのかなあとおもい,おとうさんにきいてみました 「自家用の車が,これだけふえては,パスにのる人がなく,もうからないから,何回もこないのだろう。」 といったので,ぼくが, 「みんな自動車をやめて,バスにのればいいのに。」 というと, 「つごうがわるいからなあ。」 といって,父は,風呂にはいりにいった。 ******** 1970年頃,「バス利用より自動車で移動する」という状況になっていたようです。 今そして今後,「自動車の運転が難しい」という高齢者の増加となっても,なかなか「バスを頻繁に使って…」とはならないでしょう。 “都合がよい”乗り物として登場してくるのは…。